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朔の夜
月の光は清浄すぎて、罪深いこの身には辛い。だから月のない朔の夜が好きなのかもしれない。
赤坂の紀州藩邸は沈黙の真綿を纏ったように、音も光もない。厚く掛けられた夜具から抜け出すと、手探りで庭に面した障子を小さく開けた。
立春が間近とはいえ入り込む風は冷たく、引き締まった冷気が喉を冷やして咳が出た。
内も外も変わらぬ闇を見るともなしに目を向ける。
いつもきりきりと締め上げている腹の奥底を少しだけ弛める。弛んだ隙間から愚かな嘆きが立ち上るのを、この夜だけは自分に許す。
己の不徳のために数千人の命が失われ、かつての私の民は今も会津者というだけで虐げられている。
その事実に向き合い、亡くなった者たちを弔う気持ちは常にあるが、今夜だけは見つめる先を、あの人との思い出に向けたかった。
――月の光の届かぬ今ならば、きっと天の目からも逃れられる。
不在を確かめるように視線を上げれば、雲があるのか星すら見えない。
ぼんやり視線を前へ向けていると、白いものが見えた気がした。庭先の馬酔木が風で揺れたのだろうか。小さなつぼ状の白い花が鈴なりに咲き、地面に雪のように積っていたのを思い出す。
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