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伯父さんの冷たい声に視線を遣れば、青筋を浮かべた顔がある。どうやらずいぶんと怒りを溜め込んでいるらしい。だが、怒りの元凶たるオレにはどうすることも出来やしない。また怒りを溜め込むかもしれないしな。けれども、言わなければいけないことはきちんと言おうと口を開いた。
「ごめんなさい、伯父さん。オレは二階くんに歯向かうことができません」
「なにも言わなくていい、解ってる。くそ餓鬼にはなにを言っても無駄だからな」
「二階くんはくそ餓鬼じゃあないですよ」
「駄々をこねれば手に入ると思っているうちはくそ餓鬼だ。まあ、二階のボンボンに手に入らないものはないけどな。――人の心以外で」
自嘲ぎみに笑ったオレに返るのは、腕を組んだ伯父さんの嘆息であり呆れた声だ。ついで、伯父さんはしてやったりという風に口端を上げたが、「まあ、俺も人のことは言えんか。いつも里砂を怒らせてるからなあ」としょんぼりとした顔になりつつ頭を掻く。こういうギャップに里砂さんは落ちたんだろうなと、すぐに解った。
伯父さんたちはお似合いだよなーと軽く思いつつ、いまだに熱いままの喉を冷まそうと礼服のネクタイを緩めれば、「兄貴ー」と声がかかる。なるほど、千夏の方も話が終わったらしい。
駆け寄る千夏に「お疲れさん」と言えば、千夏は「おー、兄貴もね」と返してくれた。千夏のあとに続くように大槇さんが歩いていたが、オレたちより離れた場所にいた二階くんに気がついたのか、そちらに歩を進めていく。「しづき様、お話は済みましたか?」との微かな声が聞こえるが、とても澄んだ聞き心地のいい声だ。秘書であろう人の声はやっぱりいい。「いまはな」と淡々と返した二階くんに肩を竦めたが、どんな顔をしていることだろうか。オレたちからは彼女の後ろ姿しか解らないけれど、きっと呆れているに違いない。
「――桃瀬、忘れるなよ」
去り際、綺麗な笑みとともに発せられた言葉には、「はひぃ!」と返すしかない力があった。
噛んだことを恥じるよりも先、やはりオレは二階くんには歯向かえないんだと、躯で理解してしまったことに驚くしかない。いや、前から解っていたんだけどさ、こうも滅多打ちだと不安しかないわけで……。
きちんと断れるのだろうかと、ただそれだけが心配である――。
いやほら、どう考えても迷惑でしかないし。
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