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「こうすればいいのさ」
私は布団に寝転がってみせた。
清潔なシーツのうえに一日の疲れが心地よく広がっていくようだった。
柔軟剤の優しい匂いと息子の子どもらしい無垢な体臭が、私の周りの空間に満ちているのを感じることができる。
「おいで」
「うん」
息子も布団に転がって、私たちは向き合った。
「おまえのお手手を握っていいかい?」
寝転んだまま、声をかけた。
「もちろんいいよ」
息子の両手を握った。
それは小さくて柔らかく恐ろしく無防備で、この世界の善にも悪にも届く無限の可能性を秘めているのだと思った。
「いいけどさ、でもさ」
息子は少し困ったような顔をした。
「これじゃあ、歯磨きができないよ」
「なるほど、確かに歯磨きはできないね」
私はうっかり感心してしまった。
「どうしよう」
「どうしようか」
「お手手を離してはくれないの?」
「うん、申し訳ないけれどまだ離したくないんだよね」
息子は必死に考え、私はのんびりとした気持ちで彼のふわふわの手の感触を味わっていた。
「ママ!歯磨きしてくれない?」
息子の大きな声を聞き付けて、妻は黙ってこちらにやってきた。手には彼の歯ブラシをもっている。
トムとジェリーの絵がついた、ブルーの小児用だ。
私は息子がそんな歯ブラシを使っていることすら知らなかった。今ちゃんと覚えたからねと、心のなかで呟いてみた。
「甘えん坊はパパのほうみたいね」
息子の手の匂いを嗅いで、頬でその感触を味わおうとしている私を見て妻が呆れて苦笑していた。
「こんな素敵なものがすぐそばにあるなんて信じられないよ」
大袈裟かもしれないが、寄せるばかりで引いていくことを知らない波を集めるように、私のこころは喜びに満ち満ちていた。
妻は膝の上に彼の小さな頭を乗せた。
息子の満ち足りた顔を、妻の微笑する頬の曲線を、眺めることは幸福だった。
さぁ、明日は息子と出掛けよう。海が私たちをきっと待っているはずだ。
おわり。
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