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今夜もbasementの楽屋には「おはようございます」の挨拶とともに続々とダンサーたちが集まってくる。
「それで? 会社に乗り込まれたあとホテル行ったの?」
「行かないよ!」
歩は持参したほうじ茶を啜りながら顔をしかめた。
「いきなりホテルに誘ったことを謝りに来たのに、なんで舌の根も乾かないうちにまた誘うんだよ」
長年一緒にステージに立ってきた滝川に、昼の仕事の顧客にポールダンスのことがバレたと打ち明けたら、先ほどから質問攻めにあっている。
「でもいいひとじゃん! 翌日すぐ来てくれたんだろ? 普通すぐには行けないよ。落ち着いたら、とか言い訳しちゃってさ」
「それは俺も思った」
実際、歩自身も落ち着いたら芹澤に謝罪に行こうと思っていた。落ち着いたらって一体いつなんだ。
「まあ引き続き気をつけなよ」
「うん。……ん? 気を付けるって何を?」
「誘われたってことはユウに気があるんだからさ、夜の仕事をばらすぞって脅して関係を迫ることだってできるだろ」
「そうか!」
滝川が悩まし気にこめかみのあたりを揉む。
「大丈夫かよ~」
「気を付ける」
でもさぁ、と歩は鞄から家から持ってきたみかんを取り出した。
「これは俺の勘だけど、そうゆうズルいことはしないと思う」
半分に割って片方を滝川に差し出す。
「それに昼間の俺の姿を知ったら興味なくすんじゃないかな。全然面白みのない人間だし、俺」
二つずつの子房に分けたみかんを口に放り込む。咀嚼すると頭に装着した大きな黒い羽飾りがゆらゆらと揺れた。鏡の向こうでブラックスワンの衣装を着けた男がみかんを頬張っている。
「鞄にみかんとほうじ茶入れてるやつなんて超面白いと思うけど」
そう言う滝川も、真っ黒いネイルの指先で几帳面にみかんの白い筋を取り除いている。
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