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歩が勤めるフジ空調システムは、オフィスビルや商業施設の空調機の運転管理を行うほか、それらの点検、メンテナンスなどのサービスを提供する会社だ。小さい会社ではあるがそれなりに歴史は長く、業界内では「フジ空調さん」と呼ばれ、老舗として知られている。
歩はここの営業部に入社して五年になる。嵐のような新入社員時代を過ごし、一日の大半の時間を会社に捧げる数年を経て、ようやく最近自分のペースで仕事を進められるようになったばかりだ。
今日は十月から名古屋支所へと異動になる三谷からの引き継ぎを受けるため、ともに新橋に来ていた。
これから歩が担当することになる杉谷法律事務所は、新橋駅から歩いて十分ほどの静かなオフィス街にあった。五階建ての低層ビルだが、一階から五階まですべて杉谷法律事務所が占有する、大きな法律事務所だった。
「病院や工場と違って空調管理は難しくないけど、とにかく来客が多いところだからそこだけは気を使って」
「はい」
三谷が穏やかに説明する。見るからに人の良さそうな容貌で、一般客の出入りする法律事務所の担当にうってつけの人材だっただろう。
「窓口になる総務課の芹澤さんはお前と同じくらいの年じゃなかったかなぁ。若いよ」
「へぇ。若いのに総務課長なんてすごいですね」
「仕事のできるひとだよ」
三谷とともに応接室で待っていると、ほどなく担当の芹澤課長が入ってきた。
「お待たせしました」
歯切れの良い喋り方に見合う、切れ長の目の男だ。背が高く、ちょっと見ないくらいスタイルが良い。
ダンサーの習性で、身体つきをじろじろ観察してしまう。胸板が厚く、反対にお腹回りは薄く、きびきびと大股で歩く姿はニューヨークで働くビジネスマンのようだ。ニューヨークのビジネスマンをよく知らないが、少なくとも新橋で酔っ払っているサラリーマンとはまるで違う。
「芹澤さん、今回は急な担当変更で申し訳ありません。こちらがこれからお世話になります井上です」
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