ポップコーンラブ

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 窓に映った自分の姿があんまり酷くて、手串で髪を整えた。うなじを隠すほど伸びた癖毛は、何度手で梳いても湿気を吸ってくるくると跳ね上がる。長めの前髪の間からは、白い肌と臆病な目が覗いていた。パーマでもあてたような癖毛を、あの人がかわいいと言ってくれたのはずいぶん昔のことだ。  本棚の端に目が留まる。乱雑に押し込まれた紙束は、あの人の書きかけの原稿だ。あれを置いていくなら、本気で一からやり直すつもりなのだろう。その紙束をぼんやり見つめながらバーボンを煽る。  シャワーを使ってよいかとクセのある英語で聞かれて、我に返った。頷くと、男は陽気な声で礼を言い、バスルームへ消えた。すぐに洗濯機の音も聞こえて、ちゃっかりしている彼に苦笑した。  誰かがいるのは、気が紛れていい。  風呂から出た彼は冷蔵庫を開け、なにかをまくしたてた。スペイン語みたいに聞こえたけれど、英語くらいしか分からない僕は「お好きにどうぞ」と英語で答え、あとは飲んでばかりいた。  彼は肩をすくめると、野菜とベーコンをガーリックオイルで炒めたパスタを二人分作ってくれた。笑顔で差し出す彼の様子に、どうやら僕を元気づけようとしているのだと気が付いた。皿にフォークを乗せる手つきから彼の育ちが悪くないのを感じ取り、自暴自棄とアルコールが相まって、僕の警戒心はみるみる弛んでいった。  英語でぽつぽつと言葉を交わす。たわいのない彼の旅行話は、僕の押し潰されそうな気持ちを慰めるのに十分だった。  この部屋の中にあるもので、取られて困るのは書きかけの原稿くらいだ。知らない人間を部屋に上げる物騒さは分かっていたけれど、それでも一人よりはましに思えた。  ベッドの上での彼は紳士だった。  「どうしたい?」  耳もとで囁かれ、後ろをそっと触れられた。身体に残る記憶を全て上書きして欲しいと頼んだら、丁寧にほぐされた。  その日初めて会った行きずりの相手とセックスするのは初めてだった。正直、達するためだけの物理的なやり取りで終わるのだろうと思っていたが、彼は違った。  触れる唇も優しく、戸惑うほどの丁寧なセックスに僕は夢見心地だった。何より一晩の宿代にしては、キスが長すぎる。それが一番嬉しかった。  きれいだ、すごくいいよ、最高だ。リップサービスだと分かっていても、慣れない褒め言葉に頬が熱くなる。 「こんなセックスは初めてだ」
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