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「ああ――違う、あれは呪文だ。ヴェンニ。こちらへ来い、と言っている。そうか、ここにいるのか」
そう言って、青年は兎がいるほうとは少し違うほうを向いた。もう少し右ですよ、と伝えて良いものか悪いものか、オルシアは悩んだ。
「でも、あなたがヴェンニと呼んだらこの子が反応してた」
「ああ、そういうふうに見えるらしいな。おれにはそいつは見えないから」
「じゃあ、ヴェンニを使ったとき、どういうふうに見えるの?」
「そうだな、時空のポケットに飲み込まれたように見える。出すときも、とつぜん宙から現れたように。たとえば――レリント、蓮花火!」
彼がそう叫べば、ヴェンニは――いや、兎は――とつぜんその巨体を震わせ、一飛びした。そして、宙に浮きながら口を開き――ぱちん、と花火を打ち上げる。兎から、花火が打ちあがった。
ポンポンと火花は続けて弾けて、爆発一つごとに一粒、飴玉が降った。皆が喜んで駆け寄っていく。
「はい」
青年は花火を見つめたまま、オルシアに紙包みを押し付けた。
それは角砂糖だった。どうしてオルシアの好物を知っているのだろう、と不思議に思いながら、ありがとうございますと返す。
「では、この子の名前は?」
「ない。お前は自分の目に見えないものに、名前をつけるのか。その足元にいる鏡の名前はなんていうの? ジョニー?」
「……ねえ、他の子にはやさしいんだね」
「あの子たちは子どもだからな」
目を細めてそう言う彼の回答に、オルシアは目を丸くした。
手を広げ、自分の体をもう一度眺めてみる。
「あの、僕も子どもだよ」
「身体はそうだろう。だが、ほんとうの子どもは自分のことを子どもだとは言わない。君はもう少し賢いはずだ――本来なら」
褒められたのか貶されたのかいまいち分からないので、とりあえず肩をすくめて見せた。青年はそれ以上何も言わなかった。
「みんな、兎は見えないんだね」
「ああ、見えてたら逃げてるだろう。あの子たち自身にも気脈がない」
「気脈は必ず見えるの?」
「見えるな」
「でも、町の魔術士さんには見えなかったし――あなたも最初、見えなかった」
「おれは普段から抑えているから。それに、お前には隠せたけど、本格的な術士ならお互いにそれと分からないことはない」
「たいていの魔術士は隠すの?」
「いや。たいていの魔術士は露出する。気脈というのは魔術士の誇りだからな。本人の内面に関係する、とか言うやつもいる。気脈で性格診断したりとか」
「あなたの内面は兎と降雨? どういう性格なの?」
「ものすごく馬鹿みたいだろ。だから抑えてる。特に降雨は――嫌われると分かっていてさらけ出す必要もない。たぶん、町の魔術士さんとやらもそうなんだろう」
気脈の話になると青年は饒舌になる。話してくれるのが嬉しくて、オルシアはいくつか質問を続けた。気脈とはどういった存在なのか。魔力の多寡と関係はあるのか。種類は豊富なのか。今まで見たなかで一番不思議だった気脈は。オルシアと同じような気脈を見たことがあるか。その全ての質問に対し、青年は流暢に答えて見せた。
「たしかに、お前もちょっと珍しい気脈だな」
「無数の鏡が?」
「ああ、見ていてチカチカする。まあ、若い術士は気脈が変化することも多い。鏡じゃなくて宝石とかになれば、派手で喜ばれるかも」
「でも、自分には見えないんだね」
「そうだな、見えない」
青年は面白そうに笑い、その後ろで兎がぴょんと跳ねた。多分、あの兎は青年のことが好きなのだろう。『気脈に愛されている』という、彼の表現が示すとおりに。
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