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「僕も、昨日会ったよ! あの人魔法使いだよ」
オルシアと共に坂で彼に会っていた子どもの一人が、人垣のなかから声をあげた。広場にはいつのまにか、沢山の人が集まっていた。嵐の遠吠えが響く。
父をはじめとする数人の大人たちが、オルシアと青年の前へと一歩、出る。
「突然、紋を揚げるとは」
「入村の手続きはしたのか?」
「待て、無礼にするな。紋を持っている術士だ」
「違うなら申し訳ないが――この嵐とあなたとには、なにか関係があるのか?」
口々に発せられる言葉のひとつひとつに、オルシアは身が竦むような思いがした。つい先ほど、この嵐はオルシアの『ヴェンニ』のせいだと、彼に聞いたばかりだ。
「待て。術士同士で話していただこう。先生はどこだ」
誰かがそう言って、人垣が奇妙な方向に割れた。その先には、村の魔術士がいた。髭を蓄え、長裾の緋服を纏った術士は、眉をひそめて彼を見つめている。いつ見ても気難しそうな人だ。オルシアはひそかに、村の術士の周囲に視線を這わせた。
やはり、隠しているのだろう、気脈はどこにも見えなかった。
「先生」
呼びかけると、術士は忌々しそうにオルシアを睨んだ。この人はいつも、オルシアを殊更に邪険にあつかった。
「――初めまして。名乗りは出来ないが、敵ではない」
青年はそう言って、杖を取り下げた。雨に溶け入るように紋章が消える。
そういえば、彼の名前を知らない、とオルシアは今更ながらに気付いた。
「では、この嵐はなんだ」
「おれではない、分かるだろう?」
「しかし」
「おれではない。おれはお前の敵ではない。その理由がない。――おれはな」
青年はそう言ってから、なにかに引きつけられるかのように、オルシアを見た。
――呪い。ヴェンニ。鏡の気脈。敵。
どうしてかオルシアには胸騒ぎがした。
「なあ、そうだろう?」
瞬間、青年の背後から羽が生えるみたいに、大振りの、巨大な耳が広がるのが見えた。――ヴェンニ!
次いで、薄い雨雲が、意思を持ったように動く。青年の頭上を取り囲み、おどろおどろしい姿をとった。蛇のように、蛾のように、なにか生きもののような形になって――広場の術士のほうを向いた。
「――!」
オルシアは声を上げそうになったが、なんとかそれを飲み込んだ。誰もがこの異常に気付いていないのが恐ろしかった。気脈は術士同士にしか見えない。はっと気づき、村の魔術士のほう――そちらには、オルシアの父や、あの子どもたちもいる――を、見た。彼らはただ、呆然としていた。
「あの――」
なにをしようとしているんですか、と聞こうとした。
掠れた声が出る。青年の腕にしがみついたが、彼はこちらを見ようともしない。顔の左半分、少し長い前髪で隠れかけた瞳と目が合う。抑えろ、と言われているような気がした。それはオルシア自身の思い込みなのではないかと思うほどに、心のなかから湧き上がるように聞こえてきた。今は、抑えなければならない。どうして、と声を上げたい。巨躯の兎、蠢く暗雲は、八歳のオルシアを震え上がらせるのに十分だった。
村の魔術士は、眉をひそめた。
「なにをしている」
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