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「……見えたか、オルシア」
目を開けると、どうしてか泣きそうな顔をしている青年がいた。
村の魔術士はというと、杖をこちらへ向けていた。――オルシアのほうに。
「先生……?」
なぜ、村の魔術士がいま、オルシアを恐れるような目で見るのかが分からない。この状況で、ただただ恐ろしいのは巨兎を従わせる青年のほうだ。
驚いて周囲を見渡す。兎は、先ほどの狂気はどこへやら、静かに青年の横でうずくまっていた。雨雲も小さくなっている。
「襲わなかったんですか……?」
いや、と青年が否定する。
「気脈は誰も襲わない。ただ、見えるだけだ。これはただのイメージだから」
「……でも、見えれば恐ろしいです」
「もちろん。魔術士同士の決闘は、気脈で行う。おれたちは精神的にナイーブな生きものだからな。おっと、笑うなよ。おれは彼に決闘をしかけたんだ」
オルシアはすこし考えた。
「彼はそれを拒否したんですか?」
「いや、彼は、決闘を受けることすらできなかった。なぜなら彼は――」
「やめろ!」
唐突に、切り裂くように声が響く。それは悲痛な叫びだった。
青年が――ここで初めて、オルシアを庇うように、立ちふさがった。彼の匂いがぷんと香る。どこか鼻の奥をつくような、不思議な香りだった。
「たしかに、この町にはひとり気脈を持つ者がいる。でも、それはお前じゃない。お前が村の人々を、どう騙しているのか知らない。おれはお前を見過ごすけど、次に来る魔術士はどうするかな。今後の身の振り方ってやつを、考えろ」
彼がそう言い終えたあとも、ただ、うるさく、ざあざあと、広場には雨が降っていた。
到底目を開けていられないような冷たく痛い雨なのに、みな呆然としている。濡れなくとも、雨に打たれれば寒い。オルシアは無意識に二の腕を掴んだ。
「寒かったろ、ごめんな」
青年はそれだけ言って、兎を引き連れ広場を出て行った。その、出て行く足音がどこか遠くに聞こえた。雨雲はまだここに残っていて、オルシアの体に打ち降っている。オルシアはへたり込んだ。とうてい自分が無力に思えた。
そして、たくさんの人のまなこが、オルシアを見ていた。
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