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家に帰り、たったひとつ持っていた鞄のなかに、多くもない所持品を入れた。手切れ金なんだからいいだろうと判断して、父親の部屋から勝手に金を取った。欲しい、と思って扉を開ければ、鍵がかかっているはずの金庫は、すんなりと開いた。
――魔法だ。今まで、やろうとも思わなかったから、気付かなかっただけのこと。僕はありとあらゆる、物理の扉を開閉できる。イメージを形にする力だ。
すぐに家を出た。自分でも驚くほど、自室にも、家にも、この村にも、何の感傷も感じられなかった。さびしくはなかった。強がりでも意地はりでもなんでもなく、ただ純粋な欲望で、オルシアはここからただ離れたかった。もつれる手足をばたつかせるように不恰好な疾走だった。村の門まで走っても、青年を見つけることはできなかった。
どこにいるのだろう。
今後ずっと見つけることが出来なかったら、どうしよう。
しかし今はまだ、この近くにいるはずだ――彼が魔法で、高飛びしたのでもなければ。
村の門を、何のためらいもなく飛び出す。ここから先は、まだ行ったことのない世界。初めての場所。世界が広がっていくのに、何の感動もない。ただ焦燥だけが、今はオルシアを支配していた。
――彼を見つけなければならない。
ふと足元に目を留める。小さな水たまりがあったのだ。これだ。
念のため、膝を突き、水面に手を伸ばす。しかし、どれほど近づいても、手のひらは濡れない。水の感触はたしかにあるのに、腕を持ち上げても雫が一滴も垂れない。
――これだ! 濡れない雨が、ここに降ったのだ。
注意深く、決して見逃さないように、雨の痕跡をたどってゆく。雨上がりの匂い。水滴。虫のうえに確実にかぶさっているのに、彼らは溺れない――この虫には、魔力がないから。
ひょっとすると彼は意図的に降雨させたのかもしれない、オルシアが追ってこれるように。それはただただ自分に都合がいいだけの考えだったが、オルシアはどうしてもそう信じたかった。きっとこの先にいる。
そうして、オルシアの願いは叶えられた。
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