世のなかあんま舐めんほうがええで

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   §  中目黒の駅で社用のプリウスを降りたおれは日比谷線に乗った──東武伊勢崎線直通の北春日部行き。車内には座れる椅子もあったが、そこへ腰をおろすことはしなかった。寝過ごし防止のためだ。代わりに人間観察──習い性と化したそいつをはじめる。鞄に顎を乗せているサラリーマンは四十代前半。家の最寄りが終着駅以外ならまちがいなく寝過ごすパターン。  斜向かいでスマホをいじっている派手なメイクの女は客勤めの帰り。ファンデーションに隠された地肌を透かし見る──三十代半ばで経産婦。息子か娘の父親とはおそらく離婚している。送迎の車を使わない、あるいは使えない理由として考えられるのは住まいのある場所が送迎の範疇外か、売りあげが悪いかのどちらかだ。どうでもいいそんな見立てを霞ヶ関のあたりまでおれは続けていた。  事務所のある東銀座の駅を過ぎると車内は混みはじめた。瞼で視界に蓋をする。まどろむ手前でそれをやめる。緩慢な瞬きを三度繰り返したところで誰かの腕時計が新しい一日のはじまりを告げてきた。移動中に日付をまたぐことなど特に珍しくもなかったが、それでも今日はいつもに増して疲れている気がした。  窓の外に目をやる。電車は隅田川を渡っていた。寝ぐらまではあと少し。さっきのサラリーマンはとっくに眠りこけ、派手な女は相変わらずスマホをいじっている。疲労に満ちた顔をしているわりに指の動きが早いのは営業努力というやつだろう。若い女が好きな馬鹿どもの目を若いとはいえない女へ向けさせるには、それなりの取り組みが必要だ。  おれは西新井の駅で下車し、そのまま西口の改札を抜けた。大師線は使わない。環七通りを徒歩で西へ進み、満願寺前の交差点を右折する──ポケットで振動。 「なにか動きありましたか」 「明日は一日猫カフェにいていいぞ」  依頼者が自身で対象を問い詰めて自白(ゲロ)させた=案件は終了──小林の説明。おれの予想は見事にはずれた。
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