2007年(平成19年)9月

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千里はこの日記を読みながら、全身が凍りついた。あの母が、自分たちの父と、本当の母を殺害していた。思いもよらない事だった。 それにしても母は、なぜ自分たち娘二人を殺さなかったのだろうか。しかも美咲が腹の中にいるうちは、本当の母に一切、危害を加えていない。産んでから、殺した。 その答えを、母は明記していた。 『雪彦の血を濃く受け継いだこの子たちを育てる事で、雪彦は永遠に、私のものになる』 こうして母は、まだ若かったにもかかわらず、一切男と交わらずに、二人の娘を溺愛した。二人の容貌が雪彦の生き写しで、真梨子の要素がほとんどなかった事も、母の欲望を満たした。 しかし、ここ数年の記述では、そんな母の心境にも、若干の変化があったようだ。例えば、千里が高校生の頃の記述である。 『今日も千里は帰りが遅い。どうせ男と飲みにでも行って、そのまま朝帰りだろう。私が気づいていないとでも思っているのか。一度注意しなくては』 次は日付から、美咲が犯されたと思われる夜の記述である。 『さっき美咲が目を泣き腫らして帰ってきた。母親として、声をかけるべきか。でも本当に困った事が起きていたら、自分から言ってくるだろう。ここは我慢』 母は自分たちの事を、歪んだ愛情ではなく、本当は心の底から、愛してくれていたのではないかー。 千里のそんな淡い期待は、母の最後の記述、つまり、あの温泉旅行出発前夜の記述を読んで、粉々に打ち砕かれた。 『千里の魂胆は分かっている。この旅行で、私から雪彦の事をあれこれ聞き出すつもりだろう。勘の鋭い子だ。実はもう、すべて気づいているのかも知れない。いや、きっとそうだ。もう殺すしかない。夜中、千里を風呂に誘って、湯に沈めて殺そう』 千里は数十冊におよぶ母の日記をすべて重ねて、紐で十字に縛った。それを車に乗せ、アパートから程近い、わりと大きな川の河原へ向かった。 そこで、日記を燃やした。立ち昇る煙とともに、母は成仏してくれるだろうか。 女の情念が、母を怪物にした。 その怪物を飲み込んだ、あの化け物。アイツは一体、何者なのだろうか。 もしかしたら、自分たち姉妹を助けてくれたー? そして最期に女の悦びを与えて、怪物に身を堕とした母をも救ったというのか…。 千里はあの化け物に、似ても似つかない涼しげな父の面影を重ねた。 化け物の消息は、ようとして知れない。
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