1958年(昭和33年)6月

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1185年(寿永4年)3月24日、長門国(ながとのくに)(現在の山口県西部)壇ノ浦(だんのうら)ー。 源氏(げんじ)平家(へいけ)、最後の決戦。いわゆる壇ノ浦の戦いである。 海上戦となり、潮流の速い海域で、両軍合わせて千艘を超える舟が入り乱れ、激しい戦闘を行った。 結果、(みなもとの)義経(よしつね)率いる源氏軍が勝利。平家の人々は女子供に至るまで次々に入水し、海の藻屑と消えた。 (おご)る平家も久しからずー。栄華を極めた平家は、ここに滅亡する。 しかし、混乱に紛れ、落ち延びる者たちもあった。新支配者となった(みなもとの)頼朝(よりとも)はこれを許さず、徹底した落武者狩りを命ずるー。 一年後、備前国(びぜんのくに)(現在の岡山県北部)の、とある山村。この地に、一組の家族が棲みついた。 夫婦に子供二人の四人で、衣服はボロボロであるが、どこか気品のある顔立ちである。 初めのうちは洞穴の中で生活をしていたが、そのうちに山中の木を切って、小屋のような家を建てた。 しばらくの間、村人たちはそれを遠まきに眺めていたが、徐々に親しくなってゆく。 やがて家族に芋や大根といった農産物を提供する者も出始めた。家族の飾らない人柄に、皆が惹かれだしたのである。 夫は40過ぎでがっしりとした体格をしており、精悍な顔つきにも気品が漂う。おそらく、元は名だたる貴族か武士であろう。 妻は30半ばで、京言葉を使う。今は質素な格好だが、かなり位の高い家の出であったと思われる。 そして二人の子は、上が14~5才の娘、下が10才前後の男子である。どちらも聡明で、受け答えのしっかりとした子であった。 食糧を持って来る村人に、夫は僅かながらも金子(きんす)を払い、感謝の意を表す。 一家に土地を提供する者も現れ、夫はその土地を開墾、立派な畑にした。 そして収穫した野菜を、今度は村人たちに振る舞う。 何か祝い事があれば、酒を酌み交わすー。一家と村人たちは、いつしか、そんな関係となっていた。 しかしそんな良好な関係も、長くは続かなかったー。
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