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「というのが、俺の生まれた村の、言い伝えだ…」
床に伏せたまま大橋誠一は、途中何度も咳き込みながら、この長い話を親友である銀歯谷宗介に語って聞かせた。
昭和32年晩夏、東京・駒込の、平屋の一軒家。大橋の一人住まいである。
それにしても、細くなってしまったな…。友人の腕や首を見つめて、銀歯谷は思った。
二人は早稲田大学文学部の同窓生で、現在、共に27才。卒業後、大橋は大学に残り、恩師の教授のもとで講師の仕事をしている。
一方、銀歯谷は風来坊で、大学を中退して海外を放浪、一昨年帰国し神田神保町に探偵事務所を構えた。
再会を喜び合った二人であるが、昨年、大橋が病に倒れ、大学を休職した。末期の肺がんであるという。医師から告げられた余命は、一年。
そしてこの日、自分の生まれ故郷の事でお前に聞いてもらいたい話があると、銀歯谷は大橋に呼び出されたのであった。
大橋は続けるー。
「それから七年後、七十郎一家殺害の中心人物だった七人、これは娘を犯した七人なんだが、この七人とその家族が続けて、狂い死にした…」
人々は七十郎の祟りだと、恐れおののく。
七十郎の霊を鎮めるため村人がとった手段は、一家の住まいの跡地に祠を建て、その下の地中に七十郎の娘と同じ年頃の村の生娘、いわゆる処女を一人、生け贄として埋めるというものであった…。
一家殺害の年から七十年に一度、村人は子々孫々に渡ってこの生け贄の儀を続けてきた。
七十郎の祟りと、七十年に一度の儀式。いつしかこの村は、「七十村」と呼ばれるようになった。
そしてこの儀式、何と630年後の江戸時代末期まで続けられたのである。
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