1958年(昭和33年)6月

5/44
1220人が本棚に入れています
本棚に追加
/1815ページ
そして七十郎一家殺害から700年後の1888年(明治21年)、前回の儀式の年ー。 このような生け贄が行われていて、今年はそれが行われる年だという事を知った明治政府の役人が、村長を呼びつけた。 「維新から20年、来年には憲法も発布される法治国家のこの日本で、祟りなどと言って、何を馬鹿な事をしているのか…。ただちに中止せよ」 という訳で、生け贄の儀は政府の命令で禁止されたのである。するとー。 「大事件が起きた…」 沈痛な面持ちで、大橋は言った。 その年のある夏の晩、村に住む二十歳の青年、浜岡金吾(はまおかきんご)という男が、猟銃を手に、家を出た。 そして一軒の家の前で立ち止まり、玄関の戸を蹴破って侵入する。 まず、飛び起きてきた夫婦を射殺。 さらに屋内に侵入し、18才、13才、8才の息子、6才の娘も射殺。そしてー。 この家の16才になる長女を捕まえ、これを強姦する。 家族の死体が転がる中、犯される少女。まさに700年前の、七十郎の娘の悲劇の再現である。 事が済むと、家族と同じように、浜岡はこの娘も射殺した。 そしてこの家を出て、数軒先の家に押し入る。 この家にも、15才になる年頃の娘がいたー。 浜岡は、前の家と同じ事を繰り返す。まず家族を射殺。逃げまどう娘を犯し、射精して果てると、これも殺害。 そしてまた、年頃の娘のいる家へ向かうー。 こうして男は、七軒の家で同じ犯行に及んだ。 犯され、殺された少女が7人。家族も合わせると計49名が、浜岡に殺された。 最後の七軒目の犯行を終えると、浜岡は山中に消える。 翌朝、警察が捜索すると、奥深い山の森の中の木で、首を吊った浜岡の死体が発見されたー。 「村人たちの間では、生け贄の儀をやらなかったために、七十郎の祟りが起きたと言われている…。そして来年は、浜岡の事件から70年、七十郎殺害からは770年に当たる年だー」
/1815ページ

最初のコメントを投稿しよう!