1958年(昭和33年)6月

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数日後、岡山駅ー。 村を辞した銀歯谷は、愛用の大きなトランクを抱え、東京行きの汽車が入ってくるホームに、一人たたずむ。 と、そこへー。 「あ、いましたよー!あそこです」 若い女の声が鳴り響いた。あまのやの女中のトシ子である。 トシ子は銀歯谷に駆け寄る。その後ろには、辰弥と大貫警部の姿もー。 「やや、これはいかん…」 銀歯谷は逃げようとするが、敢えなく捕まった。 「ひどいじゃないですか、銀歯谷さん!何も言わず、急に帰ってしまうなんて」 辰弥が口を尖らせた。 「いや、見送られるのが、苦手なもので…」 銀歯谷は頭を掻く。 「何を馬鹿な事を言ってるんですか、まったく…。トシ子ちゃんから、銀歯谷さんが精算を済ませてさっさと出て行ってしまったと聞いて、あわてて追いかけて来たんですよ。警部さんが、パトカーを出してくれてー」 警部は、ニヤリと笑って言った。 「君、パトカーを私用で使った事、県警本部には内緒だぞ…」 そして、銀歯谷を見つめるー。 「事件が無事解決したのは、君のおかげだ…。恥ずかしい話だが我々警察だけでは、こうはいかなかっただろう。捜査責任者として、まったく面目ない」 頭を下げる警部に、銀歯谷は言った。 「いえ、あなたは素晴らしい警察官です。あの化け物に、果敢に立ち向かったー。そうそう出来る事ではありません」 しかし警部は、沈痛な表情を浮かべる。 「だが、助ける事が出来なかった。原島絹代さんを…」 「それは、僕も同じです」 銀歯谷はうつむくー。 「僕は今回の依頼者である大橋に、こう言われていました。先生を助けてあげてほしい、と…。たぶん彼は、予感していたんです。最後に先生が、自ら死を選ぶ事を…。それを止めるために、僕を村に遣った。しかし僕は、何も出来ませんでした。辰弥君のお父上も、みすみす死なせてしまった…」 汽車がホームに入ってくるー。 「父も自ら死を選んでいたでしょう。たとえ文枝に殺されなくても」 銀歯谷は客車に乗り込んだ。停車時間は、ほとんどないー。 汽車が轟音を上げるなか、銀歯谷は窓を開け、語りかける。 「辰弥君。君は今のまま、真っ直ぐに、強く生きていきたまえ。それがお父上と…、絹代さんの願いだー」 「え、何ですかー?」 ゆっくりと汽車が、ホームを離れてゆくー。 化け物の消息は、ようとして知れない。
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