1618年(元和4年)旧暦6月

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1616年(元和2年)4月末日ー。 豊前(ぶぜん)(現在の福岡県)小倉藩主・細川忠興(ほそかわただおき)のもとに、早馬の知らせが入った。 ー大御所御逝去ー 江戸幕府初代将軍で、隠居後も居城の駿府(すんぷ)(現在の静岡県)において暗然たる権力を誇示してきた稀代の英雄・徳川家康(とくがわいえやす)、死去。享年75ー。 前年、大坂夏の陣において積年の宿敵・豊臣家を滅ぼし、遂に成った徳川の天下を見届けての最期であった。 「あいわかった」 一報に触れ、忠興は眉の根一つ動かさない。しかし、その内なる心情はー。 遂に、この時が来た。これを何年、待ちわびた事か…。 徳川の天下、未だ磐石ならず。家康英傑なれど、その子の二代将軍・江戸の秀忠(ひでただ)、さにあらずー。 家康の死に伴い、天下は再び乱れる。これを平定する力は、秀忠にはない。 忠興、現在55才ー。 これまで信長、秀吉、家康といった天下人に臣従してきた。 そして今は、家康により小倉40万石に封じられている。されどー。 自分もかつては天下を目指した戦国大名。 その夢、未だ諦めきれず。 これが天下をうかがう、最後の好機。 この機を逃しておくべきかー。 こうして忠興は、公然と徳川に反旗を翻し、天下獲りに乗り出す。 その手始めが前年、大坂の陣中で家康に命じられ決まっていた、娘・咲姫(さきひめ)と家康の10男・頼宣(よりのぶ)の、婚姻の破棄であった。 咲姫、この時15才。天下にその名を知られる、絶世の美女である。 大名家同士の婚姻は、家康により禁じられている。姻戚となって関係を強化し、結託して将軍家に謀反を起こすのを防ぐためだ。 忠興はこの娘を、有力大名家に嫁がせ天下の騒乱を狙うー。
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