1984年(昭和59年)8月

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栄治は誰とでも隔てなく気さくに付き合う事のできる、明るい性格の男子でした。 小学生の頃は普通にいる男の子の一人に過ぎなかったのですが、中学に入ると急激に背が伸び、運動神経抜群な男子へと変貌していったのです。 今でいう"イケメン"というものなのでしょうか。多くの女子たちの視線を独り占めにする存在となっていました。 涼子も栄治に熱い思いを寄せていたのは、間違いないと思います。 そして栄治は、学業の成績の方も飛び抜けていました。 前に申しましたように私たちは中学を出るとほとんどが隣町の県立高校に進学するのですが、栄治は村から200㎞も離れた県庁所在地の市にある、明治から続く名門校に合格したのです。 村からこの学校への合格者が出たのは、実に20年ぶりとの事でした。 毎年、東大合格者を何十人も出す高校です。家からは通えないので、栄治はその学校の学生寮に入る事になり、旅立っていきました。 卒業式のあとに行われた送別会で、 「夏休みと正月休みには帰ってくるから」 と明るく語る栄治を、目に涙をためて見つめていた涼子を、今でも思い出します。 こうして栄治は、私と涼子とは別々の高校に進学したのです。 言葉どおり、栄治は夏休みとお正月休みになると、村に帰ってきました。 その都度、同窓会が開かれます。もちろん東京ほどではありませんが、栄治の高校のある私たちの県の県庁所在地も、それなりに開けた街です。 帰ってくるたびに栄治が洗練されているのを、私と涼子は感じていました。 そして帰ってきても、私たちは栄治と接する事はほとんど出来ません。 仲の良い男子やその取り巻きのような女子たちに囲まれているため、彼に近づく事が出来ないのです。 涼子はもともと社交的な性格ですから、その気になればその輪の中に入っていく事は出来たはずです。 それをしなかったのは、引っ込み思案な私に気を使ったからだと思います。 自分が栄治の所に行ってしまったら、この子は一人になってしまう…。 私に対するそんな思いやりの気持ちがあったのは、間違いありません。 そんな具合で高1の夏休みと正月休みは終わったのですが、高2の夏、涼子と私、そして栄治が3人きりになる機会が訪れます。 あの事件をきっかけにー。
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