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一
朝起きたら目を開ける。男にしてはすらりとした左手を天井に向かって上げ掌を広げる。そして左指だけを折り曲げる。
完璧ーー。
三國はカメレオンのように数足らずの形の自分の手を起き抜けに見るのが日課だ。
「よいしょ」
何故、力を入れる時など「よいしょ」という言葉が掛け声になったのだろうかーー。考え出すと不思議の連鎖に脳ミソが絡め取られる。
日本語以外にもギリシャ語の「オッパ」、韓国語の「ウイシャ」、ポルトガル語の「ウパ」などがあるようだが、そう考えると人類は共通して力を入れる時に適当な言葉を作りたがるようだ。
三國はゴチャゴチャとそんな事を考えてるとそのまま二度目の眠りに落ちそうになった。
余計な考えを一時停止して、気怠さの残る足をベッドから降ろして立ち上がろうとした。
いつものように右足に力を込めて勢いをつけて立ち上がった。だがグラリとふらつき、あっ、と思った時には膝と顔面に強い床板の衝撃が骨に響き、皮膚の表面が絨毯に擦れた摩擦で熱さを感じた。
それもそうだ。三國は寝起きに無意識に左足を浮かして立ち上がったからだ。
この起き方もかれこれ二十五年続いている。三國は現在三十歳だから、物心ついた頃からやり始めた事になる。最近は運動不足も手伝ってめっきり起き抜けにバランスを崩す事が多くなった。だが三國にとってこの自然に崩れるバランスはこの上ない理想の事故であり、快感だ。
親と同居していた頃はどこか身体が悪いのではないかとよく心配されていた。だから大人になって一人暮らしを始められてからは自由に自分の好きな起き方、好きな立ち方、好きな歩き方が出来て幸せだった。
時間を見ると家を出る予定を三分程過ぎていた。
「ヤバい」
丁度何とか身支度を終えてネルシャツを羽織ったところだった。朝ごはんは家では食べず、いつも通りコンビニだ。
玄関を飛び出ると三國は指を全て伸ばし、両足でしっかり立って駅に向かって思い切り走り出した。
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