第4話

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結局城を出る事が出来たのはそれから30分後。リデア姫は母親の女王陛下同様アーサーをやたらと気に入っているらしく、腕を組んで見たり、抱きついてみたりと、まるでその姿は恋人同士のようであった。その仕草は本当に女性らしく、ユールヒェンはもう姫から視線を逸らし、ぼうっと城の内装を眺めていた。 きっと普段のユールヒェンなら、こんな場所に入れるなんて!と喜び、余すことなく観察をしてはあれはなんだろうなんの意味が何が込められてと浮かんだ疑問を虱潰しに調べてはその優秀な記憶力に全てを叩き込んでいただろう。しかし、今はもうそんな気分ではなかった。巻き直したストールが重くて、城を出ても気分は晴れなかった。 「御加減が宜しくない様に思います。少し、休まれては如何でしょうか」 キルガーロン邸に戻って服を着替えると、望月が後ろから声を掛けた。とても心配してくれているのだろう。しかしここで寝ようとしてしまえばより悶々と悩む事は分かっていたので、ユールヒェンはゆっくりと首を横に振った。 「あの、アーサー。ちょっと散歩をしてきても良い…?」 「1人で大丈夫か?ミグリア達も屋台の通りに居るし、合流してからでも…」 「ちょっとだけ、1人になりたいなって…」 アーサーから快く承諾を得て、ユールヒェンはキルガーロン邸を後にした。 緑が多く、それでいて都会らしく文明の発展した街だ。キルガーロン邸の奥地にさらに道が続いているのに気が付き、ユールヒェンはそこへ向かった。騒がしい屋台に遊びに行きたい気持ちはあるが、今はただ1人になりたかったのだ。静かで、ゆっくりと過ごせる時間が欲しかった。 思えば最近は一人でいる事が減った。ミグリアがユールヒェンの傍に常に寄り添い、危険や偏見からも守ってくれていたからである。散歩は早々に切り上げて、早く会いに行った方が心が楽な気がする。 木々の増えてきた細道を歩きながらも、1度戻ろうかとした時、今来た道から1人の老婆がやってくるのが見えた。 大きな花束を抱え、荷物をしんどそうに抱えている。脚が悪いのか杖をついており、片手で抱えるにはその荷物の量は限界がある。緩やかとはいえ坂が多いこの街で、しかも脚が悪いのなら尚更きついものがあるだろう。 『でも、私なんかが話し掛けても、気味悪がられてしまうだけじゃ…』 衛兵達の反応がどうしても心に刺さった棘のようにチクチクと痛む。そうだ、他に人が来たらその人が手伝うだろう。この気味の悪い髪で驚かせて転ばせてしまって、それで怪我でもさせたら元も子も無いのだ。 ユールヒェンはくるっと向きを変え、細道を更に歩いていこうとした。 「……あ、あの、何か、お手伝い出来ることはありますか…?」 ストールを目深に巻き直し、ユールヒェンは老婆に駆け寄る。ユールヒェンの存在に気付いた老婆は、上品な微笑み方で嬉しそうにした。 「あら、悪いねぇ。このとおり足が悪くて…。良かったら、この花束、持って頂けるかしら」 「あ、あの、こう見えて結構重いもの持てるので。そちらの荷物もください」 「まぁ、なんて優しい子。ありがとうねぇ」 「どちらまで?」 「この奥にお墓があるの。そこまでよ」 受け取った花束はユールヒェンの長い腕でもいっぱいいっぱいになるほど大きくて、風呂敷に包まれた荷物は少しずっしりと重かった。これは苦労するに違いない。老婆はユールヒェンを怖がることなど無く、その親切さに安心したようである。 『……きっとミグリアやアーサーなら、これを無視したりしない。怖がられなくて良かった…』 なだらかな細道を歩いていると、少しずつ道が開けてきた。たくさんの花に囲まれた先には、大きな墓碑があった。そこには細かい字でたくさんの名前が刻まれている。その周りには沢山の供物や花束が置かれていた。色んな花の香りがするのに、冷えた寂しげな雰囲気だ。老婆は墓碑の前に座り込み、手を合わせて目を閉じる。 きっと老婆のようにこんな風にやって来る人は多いのだろう。墓碑を囲むように置かれた供物や花束は山のようになっており、墓碑はこんな外に置かれているのに汚れが全くと言っていいほどに無い。 「もう明日で6年になるねぇ。この国ではね、酷い惨劇が起きたんだよ」 老婆の声は震えている。足元の石にぱたぱたと雫が落ちた。老婆は泣いている。ユールヒェンから花を受け取ると、墓碑の真ん中にそっと備え、風呂敷を解いた。 「悪魔がやって来てねぇ。2万6000人近くの人間が犠牲になったんだ。私の娘も巻き込まれてね」 「娘さんが…?」 「そう。娘は結婚してね、腹に子供が居たんだ。あの日、娘は私の家にその報告に来てくれた帰りだったんだ。……あの日、泊まっていけって行ったのに、断って…。もっと強く引き留めておくんだった」 悔やんでも、悔やみ切れない。 嗚咽を漏らす老婆の手は震え、握り締められたハンカチがぐしゃぐしゃになっていた。ユールヒェンは静かにその背中を摩った。 『悪魔がやって来て…か。……出入口のあの厳重な警備、原因はこれかも知れない…。 アーサーは何か知っているのかな』 落ち着いた老婆と細道の出入口で別れ、キルガーロン邸の前まで戻ってきた。丁度アーサー達も出ようとしていたらしく、ユールヒェンは早速アーサーに尋ねた。 その時、明らかにアーサーの瞳がぐらりと揺れたのをユールヒェンは見逃さなかった。動揺していても、望月のようにすぐに平静を取り戻し、何事も無かったように振舞ってみせる。 「……その時、俺は国外に居たんだ。だから事件を知ったのは、他の賢者が対応した後だった。だから俺は何も知らない」 もういいか?とアーサーはすぐに会話を半強制的に終わらせた。きっとこの話題は、もう二度と触れては行けない、禁忌だったのだと悟る。思わずユールヒェンはごめんなさい、と謝ったが、アーサーは笑って謝る事じゃない、と宥めた。 その笑い方が乾いていたことなど、言うまでもないだろう。
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