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黙りこくってしまったユールヒェンにそう声をかけるのは、ミグリア本人だった。少しバツが悪そうにワイシャツの裾を引っ張り、困ったような頬笑みを浮かべた。その顔に、ユールヒェンの心の奥底がずきりと痛む。
「本当に、怖かったよね。ちゃんと守れなくてごめんね」
それだけを言って、足早に部屋の外へ出ていってしまう。ドアの方へ振り向いた時、微かにその唇がきゅっとひき結ばれ、その心が傷付いたこと等、その場にいた全員がよくわかった。
ユールヒェンに拒絶されるかもしれないことに恐れている。ユールヒェンを怖がらせた事を後悔している。それだけミグリアが優しく繊細な女の子であるからこそ、ユールヒェンが言うかもしれない言葉を聞きたくなかったのだろう。だから、先に自ら言ってしまった。
ユールヒェンには伝えるべき言葉がある。きちんと言えるかどうかはわからない、だけれどここで言わなければ、きっとミグリアは傷ついたままで、今までどおり接してくれないかもしれない。
痛む脚を引きずりながら、ユールヒェンはミグリアを追い掛けた。廊下でとぼとぼと歩くその後ろ姿が自室の扉の中へ消えていく前に、声をかけなければ。
「み、ミグリアさん。…あの、どうして、そんなに守ってくれるんですか」
「…え?」
「だって、幾ら生き返るからって、痛みはありますよね。怪我をしたら痛いし、血が出たら、またそれだけの痛みがある。
あんな大怪我をしてまで、どうして私を守ってくれたんですか?」
そんな価値、私にはないのに。
そこまで聞いておきながら、先程の律の言葉が頭に浮かびユールヒェンは俯いてしまう。守ってもらえる程価値のある人間じゃない。それなら、ミグリアはただ単に賢者の可能性があるから守ろうとしてくれるだけなのではないだろうか?悶々と考えていると、ミグリアが小さく、透き通る愛らしい声で返答した。
「…賢者だから。ユールちゃんが賢者だからっていうのは、少しある。だけど、何度も言ったでしょう?ユールちゃんと仲良くなりたいって。
本当はもっといっぱい笑ってほしいし、ミグリアさんなんて仰々しい言い方じゃなくて、ミグリアって呼んでほしいもん。」
少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、ミグリアの言葉は続く。
「でもユールちゃんがつらい思いを沢山してきたんだろうなって事は、なんとなくわかるから。だから、守りたかったの。私は貴方の敵じゃないんだよって、信じて欲しかった。これを機に、もしも私の事を少しでも信じてくれたら。ユールちゃんが少しでも笑えたら、そうなったら私、すっごく嬉しい!だから、何が何でも守りたかった。…でも」
怖がらせてしまったし、逆効果だったよね。小さな弱音は、ユールヒェンの耳へ確かに届いた。大きな桃色の瞳に雫をいっぱい潤ませて、その声は涙に揺れていた。ズズッと鼻を啜る音がする。
「確かに痛いよ。眷属でも、痛いものは痛いし、生き返るからって死ぬことが怖くないわけじゃないの。でも、自分の事蔑ろにしてでも、ユールちゃんの事を優先したかったの…。痛いのは嫌。怖いし嫌い。でもユールちゃんが痛い思いをするのはもっと怖いし、嫌だ」
嘘偽りのない、ユールヒェンに対する本気の言葉だとわかった。ユールヒェンを見るミグリアの瞳は涙で潤んでいながらも、まっすぐで、その奥底に真の強さが伺える。
初めてだった。自分と仲良くなろうとしてくれたのも、対等になろうとしてくれたのも、手を繋いでくれたのも、自分を命懸けで守ってくれたのも、ここまで大切に思ってくれたのも。
愛されたことも大切にされたこともなかった孤独な少女の渇ききった心に、優しく暖かな雫が落ちる。胸の奥底から湧き上がって、目頭が熱くなる。
初めて、そんな感情を人に与えたいと思った。
痛む脚など無視でいい。今はただ、ミグリアの事を優先したい。その瞳から悲しみの涙が零れるのを止めたい。そんな感情に突き動かされ、ユールヒェンはミグリアの目の前まで近づき、震える華奢な小指に少しだけ人差し指を引っかけた。
初めて自分から人に触れる。
「あの、本当は、ずっと言いたくて。でも、上手く言えなくて…。
う、嬉しかったです。私なんかをそんな風に思ってもらえるのも、手を繋いでくれたのも、守ってくれたのも。そんな事、されたことないから。
…だから…ありがとう、ミグリア」
微笑むまではいかないものの、雰囲気がふんわりと柔らかくなる。今まで怯えて警戒をしていた鋭い瞳は少しだけ細められ、優しい彩を魅せる。そのアメジストに光が照らされる瞬間を見て。
とうとうミグリアは泣き出してしまった。
「えっ」
泣いて欲しく無くて勇気を振り絞ったのに、これでは意味が無い。
どう慰めた良いのか分からず後ろを振り返るが、扉の陰からひっそりと野次馬をしていたヴェロニカと律は暖かい目で眺め、ほんわかと笑うだけで助けてくれそうにない。かといって誰かを呼びに行こうとしても差し伸べた人差し指はいつの間にか柔らかい手に包まれており身動きが取れない状態だ。
ミグリアの瞳からはボロボロと大粒の涙が零れ、鼻水を啜ってはいるが追いつかずに若干垂れていて、美少女にあるまじき顔になっている。それでも可愛いのだから本当にミグリアの顔の造形は素晴らしいものだが、そんな美少女に鼻水が垂れる程泣かせてしまっていることが申し訳なくて仕方ない。戸惑うユールヒェン、手を繋ぎながら子供の様に泣きじゃくるミグリア。によによと笑っている意地の悪い野次馬が二人と収拾がつかない。
「あの、私はまた何か気に障るようなことを…?」
「ううん、違うの。またって何気に障る事なんて一回も言われたことないよ。
ただ、ユールちゃんがそう言ってくれたのが嬉しくて…」
嗚咽を漏らしながらもそう答え、ある程度涙が収まると、やっとミグリアは顔をあげた。鼻どころか頬も真っ赤になって、目元なんか早く処置を施さないときっと腫れてしまう。涙を指で掬いながら笑うその顔は、本当に嬉しそうで、なんだかユールヒェンも少し嬉しくなった。
「えへへ、ミグリアって呼んでもらっちゃった」
「そう、呼ばれたいと」
「やったぁ」
泣いているのに楽しそうなミグリアを見て、この表情を守りたいと、そんなことを考えながら、ユールヒェンはミグリアが泣き止むまでずっとそうしてそばにいた。
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