第3話

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尾の針から分泌していた毒は更に異臭を放ち、滴ったものは床を溶かすだけでは飽き足らず、じわりと広がり、浸透し、その場には穴が空いた。まわりはボロボロと崩れ、先程の毒物とは比べ物にならない程危険なものであることが分かる。 立ち込めるのは、噎せ返るような甘ったるい匂いと、毒物から漂う、痛いほどに鼻をつくような匂い。それらが混ざり、空間を包み込む。やがてそれは見えない気体から視認出来るものに変わり、霧となって辺りを包み込んだ。 先程まではっきりと見えていたきつい色合いの蠍は揺らめく霞のベールに包まれて、音もなく消えていった。 コツ、コツ、コツ。ヒールのあるブーツが石の床を軽く叩く。ぼやけた視界には何も映らず、霧に紛れた魔力の所為で気配の感知が出来ない。 はぁ、と、大きく溜息を着いた。 握り直した剣はチャキッと音を立て、それだけが孤独に木霊していく。 何処だ、何処へ逃げた。 長いまつ毛がゆっくりと降りて瞳は瞼の奥に隠れた。少しだけ息を吸って、視覚以外の全てに全神経を集中させる。 鼓膜を微かに揺らす、大きな物体が蠢く音。 露出の少ない服装だが、頬や首筋には冷えた霧の揺らぐ感触が確かにする。 周りの吐きそうな程の甘さの中に、動き回る強烈な異臭。 それは部屋全体をゆっくりと這いずり回って、徐々に近づいてくる。 じわり。じわり。 背後に揺らめく刃を見たその瞬間、アーサーは剣を振り下ろした。 ギラリと輝いた刃は確かに何かを貫いたが、柄に伝わる感触が弱い。霧の奥の影が空気に乗ってゆらゆら揺れており、引っ掴んでみるとそれは、蠍に変身したパリパの脱皮した抜け殻であった。 乱暴に引きちぎって剣を抜くと、再び辺りは静寂に包まれる。 先程よりもより巨大化した蠍がぼやける視界の中、1人の男を捉えて逸らさない。 アーサーは再び眼を閉じ、そこに佇むのみ。 パリパの口が僅かに歪む。 まだ、まだ気付かれてはいない。 そんな思考が脳裏に過ぎる。その瞳は霧などものともせず、確かにアーサーを見続けていた。音を立てないようにゆっくりとした動きでアーサーの後ろへと回り、尾節の針を膨らませてたっぷりと毒を出す。ずるりと節が伸び、針はアーサーの斜め上で不気味に揺らいでいる。 この毒を1度垂らせば、この男は死ぬ。 声が漏れてしまいそうな笑いを必死に堪え、一度針を戻して勢いを付けてから、振り下ろした。 『アァ、殺せたワ』 そう直感した。
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