第3話

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「…さ、アレン、退室の時間だよ。邪魔者は出ていってね」 「で、でも、心配だし…。大人しくしてるから、ここに居ちゃダメかな、お兄ちゃん」 「ダメだよ」 兄のノアは普段はぼんやりしているが、こういう時は強く頑固だ。アレンはぐっと口をつぐんで、そっと扉に手をかけ、医務室から出ていった。 「ノア、やるわよ」 「うん」 ノアとヴェロニカがユールヒェンの上で空中に小さな魔法陣を描いた。同時に描き終わった互いのそれに手をかざし、魔力を送る。 ふわりと風が2人の髪を揺らして、魔法が光を放つ。 「…あんまりこれはやりたくなかったけど、ユール、耐えてね」 「神の手による巻き戻し(リターンズ・クリアール)」 ミチミチと、肉が動く嫌な音がユールヒェンの身体から鳴り出した、その瞬間。 ユールヒェンは声にならない悲鳴を喉の奥で震わせながら、タオルを噛み締めた。涙がボロボロと浮かんでこめかみを滑り、爪の無い手を固く握り締めて震わせる。足枷はガシャンガシャンと音を鳴らすがビクともせず、ギチギチに食い込んだベルトがユールヒェンが暴れることを許さない。 ふぅ、ふぅと荒い呼吸を繰り返し、目は溢れんばかりに見開かれ、額には汗が滲む。どれ程苦痛を感じているのかはよくわかった。 神の手による巻き戻し(リターンズ・クリアール)。ヴェロニカとノアが共にいる時に発動できるこの治療魔法は、例えば骨を折った時、普通の治療のように新たな骨が出来るのを待つのではない。切り傷を作った時、雑菌が入らないよう消毒して細胞の修復を待つのではない。 ではどうするのかと言えば、時を戻すかのように傷口を修復していくのだ。 折れた状態から折れる前の状態へ、傷を受けた状態から受ける前の状態へ逆再生する。時計がゆっくりと反対に回るように傷口が辿った道を戻り元の状態に戻す。 しかし、だからといってそれは完璧なのではない。逆再生するということは、傷を負い痛みになれた今の状態から、痛みの頂上、そして痛みを負う前へと感覚も逆再生する。また、逆再生の速度は傷を負った時の約1/2。 つまり、負った時の痛みを、倍の時間耐えなくてはならない。 「これだけは使いたくなかったわ…」 「仕方ないよ、アーサーさんが応急処置を施していたけれど出血量も酷いし、雑菌も入っているかも。 これが最も安全なんだから」 タオルを噛みちぎらんばかりに歯を食いしばるユールヒェンは、ちらりとヴェロニカの方に目をやった。その瞳は、悲痛な表情を浮かべる顔や痛みに痙攣する体に反して、とても穏やかで、ヴェロニカに対して感謝の意を伝えようとするかのような優しいものだった。 それに気づいたヴェロニカが、はっと息を飲む。 『なんて目をしているのかしら。こんな痛み、あたしだったら耐えられない。この痛みを与えている張本人をこんな優しい目で見る事なんて、絶対出来ないわ。 …考えたら、この子は17年間も住んでた村で虐待され続けていたのよね。それでも絶望せずに、前を向こうと必死になっている。 …本当は、ものすごく強い子なんだわ』 誰一人味方がいない世界で、傷に傷を重ねられる日常で、心が死ぬことも無く、微かに息をし続けていた。自由になると希望を抱き続け、本来あるべき感情や表情を取り戻しつつあるその精神は脅威の強さを誇るだろう。 「頑張ってよね」 ユールヒェンに優しく語りかけると、悲痛そうな顔が少し和らいだ。 喉が張り裂けそうな声にならない悲鳴が医務室から僅かに響く。 どれ程痛いのだろう、どれほど苦しいのだろう。 目の前の扉の奥には好きな人が苦しんでいるのに、何もしてやれなかった。 ひしゃげ、焼けただれた足が、穴だらけの腕が、全身に出来た痣や傷が、アレンの心を強く締め付ける。 『もっと、早く。早く来てやれたら良かったのに。きっとあの時、俺は残らないと行けなかった。 …ごめんね、ユール』 ゴン、と大きな音を立てて扉に額をぶつける。ズキズキと痛む胸を抑えながら、アレンは医務室を後にした。 アーサーを迎えに、或いはアーサーの盾になる為に。 そこまでを話すと、アレンの目は涙の膜が張り、うるうると潤んでいた。ユールヒェンを守れなかったのが余程悔しかったらしい。今にも泣いてしまいそうなアレンの頭にぽんぽんと手を置いて撫でてやる。 「子供扱いやめてくれよぉ!」 「はいはい。ヴェロニカとノアに任せたならもう大丈夫だろう」 反抗期の子供の抵抗を軽くあしらい、アーサーはさっさと来た道を戻っていく。 「あ、置いていかないでよアーサー!」 地面に滴る水たまりをパシャリと跳ねさせ、アレンはアーサーを追いかけた。
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