第3話

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銀色の長いまつ毛がふるりと震え、その奥のアメジストが顕になる。 視界に映るのは、清潔な白い天井。 気を失っていたようだ。全身に一切の痛みが無い。拘束していた枷やベルトは無く、医務室に設置された仮眠用のベッドに寝かされている。 足の指先まできちんと神経が通り、サラサラのシーツに擦れる感触が気持ちいい。右腕をぐっと突き上げて見ても肩が悲鳴をあげることはなく、指先には貝殻のような爪がちょこんと揃っていた。当然ながら穴も空いていない。拳を握り、勢いよく開き、また握って開いてを繰り返して、その感覚を確かなものにする。 さて次は左腕の確認を、と持ち上げようとするが、何かに包み込まれ、さらに重さを感じて上手く動かせない。見てみると、ヴェロニカがユールヒェンの手を優しく握り、そのままベッドに突っ伏してすやすやと眠っていた。疲れているのだろう、顔は少しやつれており、起きる気配はない。 握られた手は暖かい。二人の掌の温度が同じになる程、ずっと握っていてくれたのだろう。治療を終え、こんこんと眠り続けたユールヒェンの傍で。 傍らのキャビネットには、パンくずが零れた皿と底に香辛料が微かに溜まったスープカップが置いてある。晩御飯は食べてはいるらしく、ほっと一息つくと、傍らのメモの切れ端に気付いた。 [ユールちゃん、起きたら食堂来て] ガブリエルの字だ。食堂の手伝いをしている時に献立を作っていたのを見た事があった。 辺りは電気が消えていて暗く、2人しか居ないらしい。 ユールヒェンはするりと手を解いてベッドから降りると、ベッドから毛布を引き抜いてヴェロニカの肩にそっとかけた。少しだけ触れた頬が冷えきっている。 『風邪、引きませんように…』 窓から見える景色は暗く静かで、どうやら少なくとも夜遅くまで寝ていたらしい。一緒くたに回復されたのか喉が痛むことは無かったが、さすがにあれだけ叫べば渇きは覚える。 朝以来何も食べていないし、吐かされた。ここの所健康的で適量の食事を摂っていたユールヒェンの胃はきゅうぅっと切なく鳴いて新しい栄養を求める。ガブリエルのメモを見る限り、なにかを用意してもらえているかもしれない、と期待を胸に医務室を出てキッチンへ。 重い扉を開けると中の電気は消えており、明日の仕込みも終わって調理器具は片付けられており、誰もいなかった。 埃ひとつないピカピカのカウンターにぽつんとディッシュカバーが置いてあるのに気が付いた。近づいてみると、取っ手の位置にリボンで釣られたメモが。 [ユールちゃんへ 全部ちゃんと食べること。 ガブリエルより] ディッシュカバーを持ち上げて見ると、そこには小さくカットされた様々な具材のサンドウィッチと、ミルクパンに入れられたポタージュ。傍らにはそれを注ぐ為の空の器が置いてあり、中にはクルトンがいくつか入っている。温めて食べろ、ということだ。メモをひっくり返してみると、温め方の目安とガスの使い方が下手くそなイラスト付きで書かれており、そこの指示通りにミルクパンに火をかけた。 「いい匂い…」 とろとろに溶けたじゃがいもが甘く香ばしい香りを漂わせる。ふつふつに温まったミルクパンを傾けて器に注ぐと、熱い湯気が食欲を誘う。 サンドウィッチに挟まれているのはレタスとトマト、チーズとハム、卵とトマト。3種類のサンドウィッチがそれぞれが短冊状に切られ、2つずつオシャレに並んでいる。 シャキシャキと噛む毎に音を立てるレタスに甘さが口の中でとろけるチーズ。もちもちのハムに、新鮮なトマトの酸味。卵の優しい味も、スープの味わいを引き立てていて美味しい。じゃがいものポタージュは滑らかでいて、何処か柔らかな食感が残り舌鼓を打つ。少しだけ胡椒がが効いていて、またそれもサンドウィッチとよく合っていた。カリカリのクルトンも少しずつポタージュを吸い、カリ、ジュワッと楽しげな音を立てて馴染んでいく。 「私なんかの為に、作っていてくれたんだ…」 ぽつんと1人、広い食堂の中で月に照らされキラキラ光る海を眺めながら、食べ物を欲しがる胃に流し込んでいった。
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