第3話

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ハッキリとした声にアーサーの方を見ると、ふっと口元を緩ませて、ちらりとユールヒェンに視線だけを送る。その穏やかな表情に胸がどくりと高鳴った。 そんな気の緩んだ表情をするなんて。 言葉の意味もわからず、ユールヒェンはただ首を小さくかしげる。その姿にまたふっと笑って、アーサーはユールヒェンに顔を向けた。 「これが落ちていた。お前のナイフだろう」 アーサーが懐から出したのは、あの場に置いてきてしまったユールヒェン愛用の小型ナイフ。柄の方を向けてユールヒェンに手渡されたそれを受け取り、大切そうにぎゅっと胸に抱き締める。 「あの場所に、瓶が2本割れた跡があった。色と破片の形からして…硫酸とアルコールか?お前はそれを武器に闘った。 この街に、危害が及ばないように。 違うか?」 確信のある言葉は、決して責め立てるような言い方ではなく、淡々と事実を述べる。 『気付いていてくれた…。私が、このナイフを大切にしていることも…』 「…でも、なにも出来ませんでした」 「ミグリアとヴェロニカに催眠をかけたのもお前だな」 「…ごめんなさい」 「責めているんじゃない。話は街の奴らから聞いた。…彼奴らが危険な目に遭わないようにしてくれたんじゃないのか。 ありがとうな。あいつらを、守ってくれて」 必死だったのだ。 意識を奪われる直前に、咳き込む2人を何とか助けたくて。出来たのは魔術の解除と催眠で眠らせる事。 そうすれば、ついてこない。きっと2人を守れると、思ったから。 「…私、賢者だって言われて、訳が分からなくて。でも、ラムスの頭を吹き飛ばした時、もしかしたらって思いました。でも、今回できなかった」 何一つだって、反撃出来なかった。 悔しくて目頭が熱くなる。思わず俯いたユールヒェンの頭を、手袋を脱いだ手でアーサーが優しく撫でる。 「最初はそんなものだ。お前はまだ賢者の力を解放出来ていない。 でも、立ち向かおうとした。それでいい。お前は充分立派だった」 一切ユールヒェンを否定しない。アーサーにとって大したことの無い言葉でも、褒められ慣れていないユールヒェンの心には深く深く染み込んだ。 自分を肯定されることが、こんなにも嬉しい事なんて。 「アーサー…さん…」 「あー…。ずっと言おうとは思っていたんだが、その敬語で話すのやめてくれ。敬称も要らん。敬語で話されるのは好きじゃない。他の奴らも同じこと言うと思うぞ」 「え、ごめんなさい…。あれ、でも律さん…」 「あいつは…元々あんな喋り方しなかったんだよ。…それはいい。これからゆっくり慣らしていけ。ほら、試しに俺を呼び捨てしてみろ」 唐突な無茶ぶりにユールヒェンは目をぱちくりとさせ、ややあってえぇ!とパニック。 『あ、憧れていた人を、呼び捨てにするなんて…』 逃げ場がないか無意味に辺りを見渡し、視線をそらし、まごまごとして少し。ようやくユールヒェンは小さく口を開く。その顔は真っ赤だ。 「あ…。アーサー…」 「おう」 名前ひとつ呼ぶだけで、心臓がどくどくとうるさい。緊張で体が震えるが、アーサーはまたユールヒェンの髪を柔らかくなでる。 頭をするする滑る手は、適度に重さがあって、暖かくて、少しウトウトしてしまう。 そこでアーサーは突然はっと息を飲み、ユールヒェンの頭から手を離してしまった。 「すまない。無神経だったか。触れられるの怖いんだったよな。癖なんだ」 「い、いえ!そんな事ないです!あ、…そんな事ない…」 アーサーの謝罪の言葉にやや被せるように食い気味に主張する。ユールヒェンから大きな声が出てびっくりするアーサー。そしてまた口角を少しだけあげて、なでなでを再開した。 「こんな事、してくれる人なんて今まで居ませんでし……居なかった。 その…ずっと、羨ましかった。ので、凄く嬉しい…」 です、を何とか呑み込んで。ユールヒェンは少しずつ自分の気持ちを吐露していく。 「私にとって触れられる事は、傷付けられることでしか無かった。アーサーの手は、とても優しい。誰かを守る為にある手は、こんなに暖かいなんて、知らなかった」 ミグリアの時みたいに。上手く伝えられなくても、どうしても伝えたい言葉は声に出すべきだ。 ユールヒェンはアーサーを見上げた。 その翠の中に自分がいる。 「ずっと、ずっと言いたかった。アーサー。 私を見つけてくれて、ありがとう…」 それじゃあ、おやすみなさい。恥ずかしさからユールヒェンはアーサーに一礼してぱたぱたと船内へ逃げていってしまった。 アーサーはその場に固まっていた。 ユールヒェンの頭に置かれていた手は空中に取り残され、ゆっくりとひっくり返す。そして、ユールヒェンの言葉を何度も繰り返し飲み込んだ。 「優しい…手?俺の手が…?」 何も無い筈なのに、その手が血に染っているように見えて。 「こんなにも、穢れた手なのに…?」 困惑するアーサーを慰めるように、そよ風が頬を撫でた。
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