第3話

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翌日。大事をとって休め、とヴェロニカに言われ、ミグリア達と話をしながら買ってきた服を整理して過ごした。室内の修復はもう完璧に終わっており、ちょっと前より豪華な気がする。机が少し広くなり、本棚がひと棹増えた。クローゼットの隣に4足程収納出来る靴箱も設置され、こういう時毎度毎度強引な律が黙って笑顔でぐっと親指を立てるのでもう何も言わないことにした。 鞄を見てみると何故か財布の中身も増えていた。流石に多すぎると返そうとしたら更に2 倍になって戻ってきてしまった為、ユールヒェンはもう何も言わないことにした。 『…律さん、なんか怖い』 空っぽだったクローゼットは綺麗なグラデーションと取り出しやすい配置で詰め込まれ、初めてユールヒェンは自分だけの服に袖を通す。 あの時はもうこの服を着ることなど出来ないと思っていただけに、フードのついた白と黒のカジュアルなワンピースを着た自分が鏡にうつってわくわくする。ここの所ミグリアに借りてばかりだったから嬉しくなる。 そういえば、と服を一着ダメにしてしまったことに謝ると、ミグリアはいつもの素敵な笑顔で 「ユールちゃんが無事なら、私はそれで良い!」 と笑った。それでもせっかくのお揃いだったのにと残念がるユールヒェンに、明日お揃いの服を買いに行こうと約束をしたのだ。 「そういえば、昨日アーサーと、敬語で話すのは良くないみたいな事を言われたんですが…。やめた方がいいんでしょうか」 そう問えばミグリアはちぎれんばかりに首を縦に振った。ヴェロニカも頷いた。それを聞いていたアレンはユールヒェンに可愛く名前を呼ばれることを妄想して1人で盛り上がっていた。 『…不思議だ。きっと今までの私なら、あの場面できっともう死ぬから、と全てを諦めた。 皆からかけられた何気ない言葉が、私を支えてくれた…』 少しずつ。少しずつ。 たとえその歩幅が小さくとも、時間が掛かろうとも。歩み寄りたいと、小さな芽が土の中から顔を出した。 優しい言葉の数々が雫となって、乾いた土を潤し、芽を大切に育てていく。 『ここが、私の、帰る場所』 短い蝋燭の火のみを眺め蹲っていた少女には、この日向は眩しくてとても安心できる場所だった。 悪魔との一件から2日。 ユールヒェンは再び街に出かけていた。 勿論ミグリアも一緒に、今度はアレンが最初から荷物持ちを名乗り出てきた。ヴェロニカは後程合流するらしい。一先ず昨日ミグリアと話しながら果たせなかった小物類の調達を行う。 綺麗な羽根ペンを2〜3本、ペンナイフと普段使いのペーパーナイフ、羊皮紙を買い込んで気に入った色のインクを2種類買った。黒と藍色だ。 部屋の雰囲気に良く似合う姿見、押し花で作られた栞を数本、手元を明るくする為の小さなランプ。ミグリアに手を引かれ、ワンピースを選んで、ふとあの宝石店の前を通った。 「…あ」 「どうしたのユールちゃん?」 ショーウィンドウを覗き込んだユールヒェンの目には、昨日は確かにそこにあった筈のエメラルドのブローチが無くなっていた。 値札も下げられ、そこには代わりにルビーのネックレスが飾られている。 きっと売れてしまったのだ。あれ程、魅入っていただけ喪失感が嫌な重さで心にのしかかる。 「…ミグリアの言う通り、一目惚れだったのかも。買っておくべきだった」 「そっか、残念だったね」 だって本当に綺麗だったのだ。キラキラ光を反射して、君子蘭が彫られた縁が艶やかで、大きなエメラルドが堂々とそこに佇んでいた。 これを買ったのは一体どんな人物なのだろう。 『こういうのを、後悔というのかな』 また新たに芽生えた感情を胸に、ユールヒェンはそのまま宝石店を通り過ぎた。
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