第3話

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少し落ち込んでしまったユールヒェンを慰めるミグリア。後ろから荷物を抱えながらついてきたアレンは、しょんぼりと肩を落とすユールヒェンが心配で仕方ない。 『落ち込んでる…そんなにショックだったのかな』 なにか慰められないか、と辺りを見渡すと、視線の先にテディベアの専門店があるのを見つけた。ショーウィンドウには大小様々なテディベアが並んでおり、手のひらサイズのマスコットもあれば、寧ろこちらを抱きしめているようにすらなる程の大きなものもある。 アレンはそこを指さし、2人を呼びかけた。 「ね、あそこ行ってみない?」 それぞれが手作りの品らしく、遠くからでは分からなかったが近くで見るとテディベア一体一体表情が違っていた。同じ笑みでも、自信ありげな笑みを浮かべているように見えるテディベアもいれば、愛らしくはにかんでいる様に感じるテディベア、にやり、と口角を上げているような気がするテディベア。瞳には宝石が使われているものもあり、その中でアレンはルビーの瞳が埋められた焦げ茶の楽しそうな表情を浮かべるテディベアをユールヒェンに渡した。 「この子可愛くない?」 「わぁ…」 初めて触れたぬいぐるみはユールヒェンの想像を超える程柔らかくて暖かく、ずむずむと沈み込む腕の心地良さに思わずぎゅっと抱きしめてしまう。頬や手に触れる毛並みは包み込むように滑らかで、何度も頬ずりしてしまうほどだった。 「可愛い…」 『君がね!!!!!』 大きめのテディベアを抱きしめて目を閉じ、すりすりと頬ずりする姿はあまりにも破壊力があり、アレンは自分がしかけた事にもかかわらずその愛らしさに悶えた。随分と気に入ったようで機嫌を取り戻したユールヒェンから1度テディベアを取り上げると、アレンはそれを店の者へ渡してさっさと会計を済ませる。そして首元に赤のリボンを巻いてもらって、ユールヒェンの腕の中へそれを戻した。 「はい、プレゼント!」 「え!そんな、お金は貰っているのに…申し訳無いです…」 「いいんだよ、俺がしたいんだからさ!」 遠慮がちに言い淀むユールヒェンだが、その腕は素直でテディベアを離さない。その姿がまた可愛くて、アレンは嬉して仕方がない。 『やっぱり、女の子なんだな…』 「良かったねぇユールちゃん。こういう時は、申し訳ない〜じゃなくて、ありがとう!って言われた方が、アレンくんも嬉しいと思うな!」 ミグリアの後押しにより悩んだ末、ユールヒェンは有難く頂くことにする。アレンの方に向き直り、テディベアを落とさないように抱きしめながら礼を伝えた。 「あ、ありがとう…アレン」 『アレンって呼ばれた!!!!!』 アレンの脳内は今の声を耳に焼きつける事に必死だ。かなりフィルターがかかり、もはやユールヒェンの周りに花やハートすら見えてしまう。頬を赤らめ、恥ずかしげに伝えるなんてあまりの可愛さ(※8割妄想)に悶え苦しむアレンを若干引きながら、ミグリアはユールヒェンのテディベアに名前をつけようと話をもちかけた。 「名前…?」 「うん、お名前を付けてあげると、きっとこの子もとても喜ぶよ!」 名前。 自分がつけることを想定していなくて、何度もテディベアの顔とミグリアの顔を見比べた。どんなものを付けたら良いのだろうか。名前をつけるとなると、これからこのテディベアをその名前で呼ぶ事になる。それならばあまり長く、かつ語呂の悪いものは向いていない。 赤い瞳がきらきらとしていて、ユールヒェンを映している。 『私は…名前がとても欲しかった。この子も欲しいのだろうか?』 こてん、と小首を傾げ、頭の中で色んな単語を浮かべた。 そうだ、花の名前とかどうだろうか。辺りを見渡して、素敵な名前の花がないかを探してみる。店には様々な植物が飾られており、まるでテディベアと花園にいるかのような空間だ。なにか素敵なものがあれば。 ふと、ユールヒェンの視線がある場所に止まる。そこは、アレンが手に取る前このテディベアがちょこんと座っていた椅子だった。その椅子のすぐ側には、ひとつの花束が置かれている。 その花はどうやら造花のようで、鮮やかな色のままそこに堂々と咲き誇っている。燃えるような赤に、大きく開いた見事な5枚の花弁が暑い季節を思わせて眩しい。中心からそそり立つ柱頭についた黄色は太陽のようだ。 アレンの瞳と同じ色のテディベアと、花。 その花が抱く言葉は、まさにアレン本人を体現するかのようだった。 「名前…ヒビスクスにする」 『あの夜、私なんかの為に、真っ先に飛び込んできてくれた。【勇敢】な彼が、くれたものだから』 その花の名に秘められた意味を、アレンは知らない。 太陽が西の海の向こうにゆっくりと沈み、世界が茜と夜に染まり始めた頃。 ユールヒェン達は買い物を済ませて船へと戻る。 この2日の買い物だけで、ユールヒェンの殺風景な部屋は彩りを持ち始めた。 机の端にペン立てと一緒に羽根ペンが飾られ、近くにインクのケースが設置される。 机の中の引き出しはまっさらな羊皮紙やペンナイフが置かれ、机の上には精巧なランプが置かれた。ユールヒェンの魔法で火をつければ、白い炎はグラスの色に染まり辺りは薄暗い橙色に照らされる。 クローゼットと靴箱の隙間に薄い姿見が仕舞われ、ヒビスクスはベッドの枕元に置かれた。シーツも白い無地のものではなく、端がアイレットレースに加工された黒色のものを敷いた。 そして、本屋で買い込んだ10数冊の本を本棚に並べ、1番気になったタイトルをベット脇のキャビネットの上へ。キャビネットの引き出しの1番上には栞が入っている。 もちろんまだまだ空な所は多いが、それでも生活感や個性は滲み出てきた。少なくとも、地下室に居た時よりは断然良いだろう。 ヒビスクスを除き全て貰ったお小遣いで購入したが、それでも財布の中には結構な金額が残っている。再三返却をしようとしたが、またも返されもうあげてしまったのだから貴方のお金です、なんて言われてしまえばもう黙るしかないだろう。 ヒビスクスをぎゅうっと抱きしめながらごろりと寝転がってみる。 よくよく考えれば、今日で村を出て1週間になる。 怒涛の如き1週間だった。 なんの変哲もない、ただただ暴力と飢えに耐えるだけの生活が、たった一つの出会いでこんなにも変わるなんて。ユールヒェンは自身の心境の変化や環境の変化を思い出しながら起き上がり、本棚から1冊の本を取り出し開いた。 それはタイトルも何も無い。空白が続く日記用のノートだ。ペラリと表紙をめくって、ユールヒェンは1ページ目にサラサラと文字を描き始めた。 幼い頃から練習していたから、書く手に戸惑いは無い。 残したい事は沢山あった。この一週間、何にどのようなことを思い、どのようなことを感じたのかを綴っていく。 夢中になって5ページ目にさしかかろうと言うところで眠気がやってきて、ランプの火を消してヒビスクスを抱きしめて眠った。
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