第1章

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正直、何もする気にならなかった。周囲の人は、母親が亡くなった事がよほどショックなのだろうと思ったようだった。 その後は、高校だけは卒業したが、妹を食べさせなきゃならなかったし、自分も生きていかなければならなかったから大学は諦めざるをえなかった。 暫くして、母親が勤めていた美容室で見習いで働かないか?と言われた。 通信で免許を取れば良いからと。 あれ程トラック運転手と美容師にだけはなるまいと思って生きて来たのに、俺はその店で美容師見習いとして働く事になった。 2年見習いしながら、その間に通信制で学校に通い、国家資格も取った。 この頃俺は、こんな爪を真っ黒にしながら人の頭を洗うだけの人生で終わりたくない!絶対にここから抜けてやる!と強く思った。 妹も定時制の高校を卒業して、都内の小さな製パン工場に就職し、一人暮らしを始めた。 俺も、それを機に母親の働いていた店を辞め、下北沢の美容室に就職した。一人暮らししながらそこで3年間、ガムシャラに働いた。 下北沢の店は中型店で、オーナーは笹塚店にいて、下北沢店にはたまに顔を出す程度だった。 だから俺より10歳位上の店長が全てを取り仕切っていた。 俺は、相変わらず人付き合いが苦手だったから、練習会以外の飲み会や休日返上のバーベキューとかには一切参加しなかった。 そんな俺を周囲は協調性のないヤツとして見ていたと思う。 俺はそんな事はどうでも良かった。 先輩達が少しばかり給料が上がると、こぞって中古外車をローンで買い、下の子達に見せびらかしてるのが、滑稽でならなかった。 俺はそんなはした金で喜んだりしない。 こいつらは、バカだ!と思っていた。 下北沢の店に入店して3年でスタイリストデビューして、数人のお客さんを連れて青山の『イマジン』に移った。当時の『イマジン』はファッション誌のヘアメイクも手掛けていて、地方からも無休でも働きたいと言う美容師が山程、入社試験を受けに来ていた。 俺は、下北沢の店で掴んだ大手広告代理店部長奥様って太客がいたんで、すんなり『イマジン』に入る事が出来た。
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