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髪を撫でてくれるアゲハさんに、今更ながら照れてしまい立ち上がると、アゲハさんも立ち上がる。立ち上がった拍子に揺れたランドセル。精神年齢が小学4年で止まっているとはいえ、高校生くらいの身長の男がランドセルを背負っているという光景はなんともいえないシュールさがあるだろう。まだ6学年のうちの半分位しか使えなかったランドセルを静かに背中から下ろして両手で抱く。脇にぶら下げて来たメッセージが書かれているサッカーボールが動きに合わせて揺れている。
「ここにあったシュウシの家は取り壊されたけれどさ、ウチのババア――」
アゲハさんは言いかけてから訂正するかのように言い直した。
アゲハさんは昔から自分の母親をババアと呼んでいた。西洋人形のように綺麗で、年齢不詳の感じがするおばさんなのに、なぜ娘のアゲハさんはババア呼ばわりするのかずっと不思議だったが、他人の家の事情にはつっこめなかった。けれど、1度、僕と姉さんとアゲハさんで近所の公園で一緒に遊んでいる時に「ウチのババアが」と呼んだ時、いつの間にか後ろに立っていたおばさんがアゲハさんの頬をつねったことがある。「可愛いアゲハちゃん? 今なんて言ったのかしら?」と。「うふふ」と笑いながら娘の言動を咎めるその光景は忘れられない。おばさんの声は高めで、アゲハさんの声は低め。
「そっか。ここに僕の家があったんだね」
裏の山の位置とかは見覚えがあるような気がするが、敷地に入ったとしても跡形もないし、「漢(おとこ)湯」「女」湯と色分けされている出入口がある銭湯と、隣にアパートのような2階建ての建物があるので、自分の家に帰ってきたという実感は全くと言っていい程わかなかった。
もしかしたら、僕が小学3年生の終わり頃に姉さんと一緒に埋めたタイムカプセルが森の中のシルシを付けた樹の根元に埋まっているのかもしれないが、今はわからない。
「そう。ババア……母さんが千散(せんちる)っていう少し金持ちの男と再婚して、この辺一帯の土地を買い占めてこんな風にしたんだよ。私の家も近所のジジババの家も、
取り壊して銭湯と、アパートの千散荘を建てた」
この変わってしまった景色に僕がなんとも感じていない様子に気付き、アゲハさんは腕を伸ばして僕の頭を撫でた。
この辺一帯の土地を買い占めるだなんて、少しどころではない大金持ちだと僕は思う。
「ついてきな」
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