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僕が使っていたサッカーボールには、当時友達だった奴らのメッセージが沢山書かれているが、誰1人として見舞いに来ないのは、入院していた僕の存在なんて、もう記憶にないのかもしれない。新しいクラス、新しい学校、新しい生活……。それだけ環境が変化してしまったのだろう。
時代は僕を忘れ、先に進んでしまった――。
退院する日の朝は快晴だった。
僕の名前は一之宮終始。
終わりの始まりなんだ。ここから始まらなきゃ!
「おはよう。今日退院するんだって?」
ランドセルの中に遺品になってしまった母さんの手鏡と、最後の家族写真を丁寧にしまって立ち上がり、ランドセルとサッカーボールを持って廊下を歩いてエレベータに乗
り、1階に降りると声をかけられた。
明るい声の主は、数日ぶりに見たあの細い眉毛で釣り目の看護婦さんだった。
金髪の長い髪を下ろして赤い口紅塗る私服姿での彼女はヒョウ柄のシャツを着ていて、真っ赤なミニスカートで化粧は濃かった。
「私、午前中は休みを貰ったから一緒に帰ろうか」
笑うと八重歯が見えた。
「あの、看護婦さん、どうして僕に優しくしてくれるんですか?」
知っている人が誰も居ないこの世界で、唯一僕に優しく接してくれたのはこの看護婦さんだけだった。親切にしてくれたことは感謝しているが、少し疑問に思った。
「今は看護婦じゃなくて、男も女も合わせて看護師と呼ぶんだよ。スチュワーデスは客室乗務員。保母さんは保父さんと合わせて保育士さん」
と笑う。
そうなんだ。そんな所でも時代が変わってしまったのか。
窓の外には知っている建物の中に見慣れない大きな煙突があるように、呼び方の1つでさえも変化してしまったんだ。
もう何度目かはわからない衝撃を受けて肩を落とす僕の背中を勢いよく叩く。
「そんな情けない顔するなよシュウシ。せっかく男前に育ったんだから前を向きなって」
力が強くてむせる僕を見て豪快に笑う。その笑い方にどこか懐かしさを覚えた。
受付の人に話をして、受け取った難しい書類にもたついていると、看護婦、じゃなかった。看護師さんが手伝ってくれた。
入院費用は爺ちゃんの口座だったみたい。
看護師さんの話を聞けば、父さんと母さんの保険金らしい。
――ずっと見守っていてくれたんだね。
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