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検診針を先生の口に差し入れ、順番に診ていく。虫歯の無いきれいな歯の中に一か所だけあやしいところがあった。
「あら、ここですね」
「うう……」
先生が情けない声を上げた。きれいな歯だけに治療は初めてなのかもしれない。
検診針の先端で患部を突いて状態を見定める。
「ほんの初期の虫歯ですね。すぐに治りますよ。まあ……」
私は顔を上げ、目を見開いてこちらを見上げている先生の顔を見る。
「少し削らないといけませんけどね」
「あぐ」
先生は少し涙目になっている。大きな図体をしているくせに情けない。多くの患者さんを治療してきて、初めて抱く感情だった。そして同時に、『可愛い』と思った。
「じゃあ、治療にはいりますね」
私は検診針を、歯を削るためのタービンに持ち替えた。手元のスイッチで回転をオンにする。
『ヴーッ』
ヘッド部分のローターが高速回転を始め、低い音を響かせる。その音で安定した回転を確認し、先端のドリルの脇から注水が出ていることを目で確かめた。
「お口を開けてください」
先生は涙目のまま、私を見つめた。その両手はアームレストをきつく握りしめていた。怯えるようなまなざしに少しいらっとする。タービンを持ったまま、先生に顔を寄せた。
「大丈夫ですよ」
やさしく微笑みかける。
「私に任せてください。学校ではあなたが先生でしたけど、ここでは私が『先生』ですから」
一瞬の逡巡の後、彼は小さくうなずき、私を見上げた。そうよ、私にすべてを任せて。ちゃんときれいな歯に戻してあげますからね。
私は彼の口の中にタービンを差し入れた。
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