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サークルの名前は正式には『魔女の大なべ』だ。私が主催者を務めている。純粋にお菓子作りが好きで始めたサークルだけど、歯科医がお菓子作りのサークルをやっているなんてしゃれにならない。人に知られたらマッチポンプと誹られるだろう。誰にも言えない秘密の趣味だった。
私はメンバーの顔と名前を順番に思い浮かべていった。そして一つの名前に行きつく。まさか、奈緒さんが彼の奥さんだったなんて……。
いずれにしても、今日のことは奈緒さんには秘密にしなければ。そして私には彼の歯科医としてやるべきことがあった。
バッグからスマホを取り出し、メモリーから次の例会で作るお菓子のレシピを呼び出した。ウィーン風のチョコレートケーキだ。
材料表の分量のところをチェックする。スポンジを作る時に加えるグラニュー糖の量は二百グラムにしていた。さっき彼に言った言葉を思い返す。『食べる量をこれまでの半分で』、だったら……。
私は数字を『六百グラム』に書き換えた。全体をチェックしてから保存する。全体をコートするチョコレートに加える砂糖の量は変えなかった。こちらを変えると味の違いが目立ってしまうから。
これでいい、だって彼は私の患者なのだから。ずっとずっと、私だけの……。けっして手放したりなんてしない。
私は次の例会に思いを巡らせ、奈緒さんに向ける笑顔を鏡の前で練習してから、スマホをバッグに戻した。
終わり
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