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なんでだろう。目の前の服が、以前までは持っていたはずの輝きを失っている。そんなことに気付いたのは、もう夏も本番だという只中のことだった。
やろうやろうと思っていたのに、梅雨だから、じめじめするから、まだ涼しい日もあるから。理由をなんでもこじつけて衣替えを先延ばしにし過ぎて、季節の中で一番好きな夏を逃しそうだとクローゼットを開けて、収納ボックスの中身を床一面に広げたときだった。
この服たちは、なんで今ここにいるんだろう。
そんな疑問が浮かぶほどに、興味のないものが並んでいた。
去年の夏、私はメンズ服にひと際ハマっていた。元々普段から着飾る性質ではないのだが、こと去年は、そのラフさといい緩さといい、とにかく男性物のTシャツを特に好んで着ていた。
それが今はどうだ。見事に、どれも同じようなものにしか見えない物が何着も目の前に転がっていた。色や形も違うのに、どれも似たり寄ったり。
思えばそうだ。
私は昔から、そんなに大きく服の好みは変わっていないつもりでいたけれど、ある機会を境目にしてその傾向は大きく変わり続けていた。
この夏は、その機会の新たな一つとして、彼がいないというのが私の服の好みに変化を与えたようだった。新たな、というのは、ある機会というのが“付き合う男”だったという意味合いだから、いないことは新しいことなのだった。もう一年弱。
そうだ。一年前の彼は着飾らない素のままの美として、私を愛してくれる人だった。メンズライクの服装に、すっぴん。化粧をすると嫌がる人だった。私もその時は自然と、素を出すことに執着していて、化粧をするのを嫌っていたのを覚えている。懐かしくも、青臭い思い出。年齢じゃないのだ。なにかに無駄と思えるほどに固執して、良いものまでを失くそうとする行為は、総じて青臭い。
二年前、三年前、五年前、十年前。どこの時期も私は、化粧っ気は少なかったけれど、彼とのデートのときや久しぶりの友人と会うときはそれなりにめかし込んだものだった。作る美、というよりも、そんなときくらいお洒落をしたかった。可愛くありたかった。美しくありたかった。その時々で、服装も化粧の仕方も変わっていったけれど、意識は確かにそうだった。
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