本の世界へようこそ

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「本とは、本来起こり得ないものを物語として楽しむもの。そこでは嬉しさも悲しさも怒りも、感情を露にすることができる。理想の本は、いわばその究極体」 何を言っている。 「人にとっての理想の本とは、世界でたった一冊だけ。感情を全て爆発させ得る本は、世界でたった一冊だけ。それは本来、生涯をかけて探すべきものなのです。人生の全てを賭け、最期の時になってあれが最高の本だったと気づくもの」 店長が笑う。今までと同じ人のいい笑顔だというのに、どうしてか別物に見えてしまう。後ずさりするが、後ろに壁がありもう動けない。 「それを貴方は、読んでしまった。理想の、最高の本を。さぞやあらゆる感情を露にしたことでしょう。……一生分の、ね」 「一生、分?」 「言ったではないですかさっき、面白い本が見つからないと。そしてこの本を読んだその日に、『あの本を読んだ後じゃ、何読んでも霞んでしか映りません』と。理想の本を読んだことによって、貴方は何に対しても関心を持てなくなってしまったというわけですよ」 困惑する霧中の頭の中に、声が響いてくる。まるで、頭の中でも直接話しかけられているようだ。 「本だけではない。これから貴方は、何に対しても、何も感じることはなくなる。貴方の『理想の物語』の前には、現実などちんけなものでしかない」 「そんな……何とか、ならないのか……」 「忠告したはずですよ?それを聞かなかったのは貴方です」 感情が消える。言われてみれば、以前よりも喜怒哀楽がなくなってきたような。元々物静かな方であるとはいえ。本に対する執着心が薄れている時点で、おかしくはあったのだ。
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