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「セキ君、いらっしゃい」
忘れたころにフラっと顔を見せる彼は、いつもピリピリしている。いまどきの若者がもつ浮ついた面がほとんどないし、言葉使いも丁寧だ。
裕をみても怯える様子もなく、淡々としているし、話しかけたりもする。
そう、少しだけ彼のことを気にしている。でもこれは恋ではない。わたしにとって恋は破滅と同義語だから。
「ここは落ち着きますね」
「そお?」
「うん。ママが優しいからだね」
セキ君は、わたしのことを優しいとよく言う。優しい人間は人の弱みを握るような真似はしない。そこまで考えてやめることにした。彼には関係ないことだし話すことに意味はない。わたしが生きている場所と君の生きる場所は違うのだから。
最近耳にした噂、本当かどうか聞くべきだろうか。
「どうかしました?」
「え?」
「何か俺に言いたそう」
グラスを傾けながら、微笑む顔を見て思う、君は一体なんのために?
「君を訪ねてくる人が増えたんだ……それで」
「ああ、聞いたんですね、俺がドクターって呼ばれていること」
あっさり認めて、それが何?とでも言いたそうだ。ゲイ同士であとくされのない関係を持つほうがずっと楽で面倒がないのに。
「腹が立つんですよ。ノンケが覚悟もないくせに、興味本位で男と寝るなんて」
「ほっておけばいいのに」
「欲で人の道を踏み外すってバカだと思いませんか?」
浮かんだのは佐藤の姿だった。上質な男で教授だった……それが今となっては。
「言いたいことはわかるよ、何人もそういう人間をみたから」
「だから二度と変な気を起こさないように荒療治です。俺の噂のせいでママに迷惑かかってますか?そうなら、ここにはもう……」
わたしは途中で遮るように言ってしまう。
「大丈夫だよ。でも無茶はしないで、約束できる?」
「はい。やっぱり優しいですね」
独特の倫理観――同調を求めず自らすすんで律する。斉宮が好きそうなタイプだ。
やはりセキ君のことは少しだけ気になる存在に留めておかなくては。わたしのように足枷に縛られる人生を送る必要はない。
予想以上に悲しく感じる自分に驚く――これ以上はダメ。
わたしは死ぬまでに自分の心に何回蓋をするのだろうか。心など枯れてしまえばいいと願ったが実現することは無い。
心が枯れる時――それは人生を終える時。
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