第1章 ほくそ笑む

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今、笑っている自分に気が付き、ぞくっとした。そして心が軽くなった。 妻の手は震え、射抜くような眼差しで私を見つめ、逃げ道を塞ぐ怒りのマグマが押し寄せてから、何時間立ったことだろう。 発達障害を自覚するまでは、思考をシャットアウトすることで、全ての混乱から心を守り、見せかけのこの世界の秩序を守ってきた。 最近は、クリニックのドクターの言葉を信じて、新しい世界を覗くため、相手の発する意味不明な言葉を、頭の中で反芻し、理解困難な考え方を、一つずつ因数分解して理解に努めていた。 発する言葉も、書き言葉も、句読点を多用することで、世界を単純にしてきた。つもりだった。理解している、つもりだった。 だけど、妻の怒りは、途中から「アンガー」という言葉に変換され、私の頭の中では、数ヶ月ぶりに言葉が抽象化された。もう句読点を打つ必要はない。理解は必要ない。ただ話を聞くだけ。これが私が私らしく、そしてロボットのような目つきに変わる瞬間だ。もう誰にも邪魔はされない。誰にも侵されない。心のバリアは一瞬で世界を覆う。もう大丈夫。 そして、新しい世界を覗くため、一生懸命勉強してきたことが、ここで役に立ちそうだ。定型発達の脳を持つ、普通の人は、自分が悪いとは思わないそうだ。怒った理由が相手にあれば、相手がどんなに傷つこうが、心が挫かれようが、お構いなし。まずは自分の気持ちを吐き出すそうだ。それがコミュニケーションだから。コミュニケーションって何て便利なんだろう。 発達障害の僕は、相手の眉毛の微妙な動き、鼻腔の変化、瞳孔の大きさで、重い空気の匂いを察知して、自分の非を認め、至らなさを恥じて、頭を垂れる。 自分がネクラになることで、反省している姿を相手にさらけだし、許し請うのが常套手段。大体が相手を不快にさせ、すぐ「暗く」なると余計に非難される。そう「される」という被害者意識からは抜け出すことは、ない。 久しぶりに発達障害の考え方に従ってみたら、ほくそ笑む自分を見つけた。結構ニュートラルな自分だったりして。やっぱりね。笑む理由は楽しいから。何が楽しいかは、発達障害と定型発達を経験した「ハイブリット脳」の私しかわからない。  人が心から楽しめること。それは、復讐。 人が時間をかけて、ほくそ笑みながら、考えること。それは復讐。 あー、何て楽しいんだ。妻と生まれてくる子供への愛が、復讐に変わるなんて。
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