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信じられないかもしれないけれども、今からおよそ千年前、〈本〉は物質として存在していた。つまり現在のようにウェアラブルを通じて、脳に直接送り込まれる文字・記号・画像などの情報の集積を指すのではなく、三次元的な立体物として存在していたのである。
それは主に紙と呼ばれる材質で構成されていた。紙とは木材を原料としており、繊維を抽出して固め、平らにして薄く伸ばしたものだ。その上にインキと呼ばれる液体で文字・記号・画像がしみこまされて、今日我々が見ているような本と似たような体裁を作り出していた。
むろん物質なので、ページが増えるということは量的な増大を意味し、紙を何枚も重ねるしか方法がなく、一作品を幾つかに分けたりする場合もあったようだ。ものによってはとても分厚くなり、片手で持ち歩けないような本まであったそうだ。
まことに不便なものである。消滅したのもむべなるかなと思う。その変遷については諸説あって、電子書籍の発明によるものだと言われることが多いけれども、やはりそれだけでは決定的ではなくて、ウェアラブルの開発と普及がなければ成しえなかったものだと思う。
事実文献を調べてみると、電子書籍が出始めたころでも、物理書籍はけしてなくならないだろうと希望的に語られていたのだ。それらの論調を追ってみると、確かに納得できる部分はあるし、私も読書家の一人として、一度は紙で読んでみたいと思わされた。
しかし実物は今のところ発見されていないのだ。物理書籍が作られなくなってからも、素材自体はしばらくは日常生活の上で使われていたが、やがてすぐに生産されなくなった。
電子データに変換してしまえば全く用途はないのだ。企業や官公庁の資料は一斉に破棄され、家庭の紙も一掃された。
それでも本だけは一部の愛好家が保管していたものの、もともと保存に適した物質ではない。生半な方法では千年の時を経させるのは不可能だ。
かくして物質としての本は消滅した。
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