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「ん。そこを見ろ。うちはそれ一本でやつてるんだ。嫌なら帰んな」
すると、とても客に対する態度とは思えない礼を欠く素振りで、店主は僕の背後――お座敷席の壁に貼られた「太宰治 『人間失格』 六五〇円」という紙を顎で指し示す。
なんだか、ほんとにラーメン屋さんのようだ。
「で、いるのか? いらないのか? どっちだ?」
その斬新すぎるというか、アバンギャルドな販売システムに唖然としていると、やはり客商売にはそぐわない口調で店主は簡潔に訊いてくる。
「は、はい! じゃあ、一つ…てか、一冊……」
「フン!」
その高圧的な物言いに思わずそう答えてしまうと、店主は礼を言うでもなく、むしろ迷惑そうな顔をして奥へと入って行く。
「ほらよ。650円」
そして、僅かの間を置いて戻って来ると、真新しい『人間失格』の文庫本を一冊、相変わらずの不愛想な態度で僕の方に突き出した。
なんか流れで買ってしまったけど……ま、太宰は今までちゃんと読んだことなかったし、いい機会だと思えばいっか。
「あ、はい……じゃあ、千円で」
少々不要な出費感はあるが、そう考えて自分を納得させると、僕はその突きつけられた『人間失格』を受け取り、サイフの中から千円札を取り出して代金を支払った。
「チッ……350円の釣りだ」
だが、店主はちょうどの金額にしなかったことを責めるかのように舌打ちをし、ひどく不機嫌そうに釣銭
を差し出す。
「あ、どうも……」
ほんとに感じの悪い店だな……しかも、なぜか釣銭細かいし……。
と心の中でツッコミを入れつつ、百円玉2つと五十円玉2つ、十円玉5枚をこちらもムスっとした表情で受け取り、ともかくも本は買ったし、早々にこんな店お暇しようと思うのだったが。
「売ってるからには最高の状態で読んでもらわねえとな。正しい読み方を教えてやるからちょっとそこで読んでみな」
立ち去ろうとした矢先、店主はそんな、やはりがんこなラーメン屋のようなことを言い出し、また顎を使って机の方を僕に示す。
「…………はい?」
「ほら、何ぼうっと突っ立ってんだ。早くしねえと刷り立ての本が伸びちまうだろうが」
正しい読み方ってどういうことだ? 買った本の読み方にまで口を出す本屋など聞いたことないぞ?
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