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「では、心して聞いてください」
「はい、なんでしょうか、神崎さん」
「まずですね、本日のご招待には、それなりの背景があります」
「あぁ、やっぱり。じゃあ、いまから会長と君の二人掛かりでオレを詰めようって算段だね?」
「いえ、ですから、それは違います。私が部長の名前を告げたからなんですよ、会長が興味を持たれたのは」
「はぁ、それはまた迷惑な……って、どんな状況でオレの名前が出たの?」
「その質問、いまはお答えしかねます。さて、次に私の個人的なお話です」
「休日でも切り替え早いんだね、君って」
「父は幾度かの離婚を経て、五十代に入って初めて子を持ちました。それが私です」
「え、それは初耳だね。さぞご苦労を……」
「いえ、特に苦労はしていません。ただ、いささか込み入った事情がありまして。私はいま、母方の姓を名乗っているんです。つまり『神崎』という姓とは別に、父方の姓があります」
「まぁ、人間は有性生殖だからね。フツーは父方と母方の両方の姓があるよね」
「ところで、私達はこれから『袈裟丸』会長のお宅を訪問しようとしています」
神崎さんの言葉を裏付けるかの様に、竹林の前方、屹立する緑の先に和風建築の屋敷がチラリと見えた。オレがいままで見てきたどんな屋敷よりも横に長く、平たく伸びるそれに暫時、意識が捕らわれてしまう。
「えっと、ゴメン。何の話だっけ」
「私が自分の出自をご説明して、いまから袈裟丸会長のお宅をお訪ねするというお話でした」
「あぁ、うん。そんな感じだった気がするね、ここまでの流れ」
「逆にお尋ねしたいのですが。ここまでお話しして、まだ気付かれませんか?」
「えっと、何に?」
「私の父方の姓です」
「ん、ぜんぜん?」
細く開かれた唇の隙間から、長く息が漏れた。
「私だって緊張してるのに」とか「どこまで鈍いんだろう、この人」と呟くのが聞こえた気がする。普段は機械みたいな彼女も、会長に会うということでナーバスになっているのだろうか。
「わかりました、部長。もう降参です。私の父方の姓はですね……」
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