第一章  花音の“アメージンググレース”

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 「生涯を絵に捧げているのは、栄ちゃんくらいのモノよ」  「私は楽しいことも、辛い事も、、全部が生きている証だと思ってるの。精一杯味わって、生まれて来た事を十分に謳歌してるわ」  楽しそうに紅茶の葉を選びながら、私を見て。やれやれと言う顔をする。  「花音もちょっとは、身を飾りなさい。二十歳の娘なんだから」  初めての娘扱いに戸惑っている私に、優しくオシャレの秘訣をレクチャーしてくれた。そんな風に婦人のアトリエと、山寺の間をを往復しつつ、時が過ぎて行った。  余りにも楽しくて幸せだったから、母の元へは一度も帰らなかった。  当然、大学は中退。  立木信之の面子を保つ為に入学した大学には、何の未練も無い。  早朝の読経、一汁一菜の朝餉の後の清掃。終わってから没頭する絵画の世界。  身も心も洗われる暮らしの中で、立木信之の事も、咲姫の事も忘れた。  仏様の加護を受けて、心が豊かだった。  山寺を取り囲む、溢れる自然の息吹に触れて、心を清廉に保って絵に打ち込む。心が蕩けるような至福の時。  そして何時の間にか、私は童画を描いていた。  物置を改造した、私だけのアトリエ。  祖母の膝で聴いたピアノ曲や歌曲が流れる緩やかな時の中で、幼い日に読んで貰った童話の世界が広がる。  心の儘に、描いていく。  時々訪ねて来る山里の檀家の人々も、最初は驚いていたが、私の作る焼き菓子に釣られたらしい。仲良しになるのに、時間は掛らなかった。  私の童画に色んな感想を言い、師匠と一緒にお茶を飲む。  オクドサンの横には、師匠が買ってくれたプロパンガス用のガスオーブンが鎮座して、ピザやケーキも焼ける。  肉は勿論だが、魚も食べない師匠がチーズの大ファンになるのに、さして時間は掛らなかった。  ピザを焼くと、お客が増える。  村人達が手土産を持って、お相伴に遣って来るから、新鮮な野菜が台所に溢れた。  「礼と言っては何だが、お茶とお花を教えて遣ろう。和服で学ぶものじゃから、着物を買って遣らねばのぅ」  楽しそうな栄達師匠。
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