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「絶対に、誰とも口を聞くな」、厳しく釘を刺して置いて、咲姫と入れ替えた。
花音の心は。母を辛い事件で亡くして涙に暮れる、十八歳の隆仁の心の苦しみに共鳴した。口を聞く事を禁じられた花音は、廊下の椅子の上で悲嘆に暮れる隆仁の背中を一晩中、優しく撫でて過ごしたのだ。
傍に寄り添うと、ずっとアメイジンググレイスを歌った。
朝方。夫人の遺体の司法解剖が決まり、霊安室から運び出される母を見て花音に抱きついて泣いた隆仁。
そっと抱き締めて、言葉もなく立ち尽くしていた花音。
心に今も刻まれている、哀しみの色に満ちた思い出だった。
だから、山寺で“クマの四重奏(カルテット)”を描いた時、チェロを弾く祖父と、フルートを吹く祖母の横に、写真の中の父の面影を宿した少年と、隆仁の少年時代を想像して得た少年の姿を描き込んだ。(二人の手にバイオリンを持たせて)
その足許には、まだ幸福だった頃の童女の自分も描いた。
花音は隆仁の母が千葉にある教会の墓地に埋葬されてから、一人で墓に花束を供えに行った。
「母は白いフリージアが、大好きだった」、あの夜、隆仁がボソッと言った言葉だ。だから・・白いフリージアを墓に供えた。
「白いフリージアの花束がそぼ降る雨に濡れて、なんだか哀しい美しさだった」、と言って悲しそうな溜息をついた。
だからどんな絵か見たくなって、画廊に出掛けて行ったのだ。
絹子は目の前に居る隆仁を見て、バイオリンを演奏する少年クマの一匹に、隆仁の面影が重なるのを見た。
「花音。コイツの事がそんなに昔から、好きだったの?」
絹子には、花音の恋心が哀れで仕方が無かった。
「あれの居場所を教えてくれ。話を付けなければいけないからな」、心にも無くキツイ言葉が、勝手に口をついて出た。
言った隆仁自信が驚いた。
だが絹子の耳には、絶対に許す事など出来ない言葉として響いた。
椅子に座る隆仁の前に移動するなり、手を振り上げて思いっ切り隆仁の頬を打った。
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