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激しい言葉が、口をついて出た。
花音の行方を心配もし、彼女を恋しく思っている僕に向かって、この女は何を言うのかと腹が立つ。
「花音はね、咲姫の身代わりにして良いような女じゃ無いのよ。そんな事も解らないの」
「身代わりになどしていない。教会で正式に結婚した僕に、何て事を言うんだ」、頭に来るとはこの事だ。
もっと言って遣ろうとした矢先に、不意に彼女が壁の童画を見て。息を呑んだ。
「あれは如何したの」
ほとんど聞き取れないほどの、小さな声で呟いた。
「あれが如何したと言うんだ。あの絵は馬鹿な僕が花音へのプレゼントに買った絵だ」
「花音との暮らしがあんな風だったらなんて、信じられないくらい馬鹿な夢を見たものだよ」、売り言葉に買い言葉だった。
少しは本音だが、それでも花音を愛しく思っている気持ちは、少しも変わってなどいない。
(僕の・・ただの悔し紛れの言葉だった)
だが絹子は、この絵を知っている。
彼女は以前にこの絵を見る為に、藤村画廊を訪れていた。それは花音が描いた世界。その童画に込められた、花音の想いが今は痛い。
まだ花音の母が病院に入院していた頃、母が眠るベッドの横で花音が、隆仁の母が亡くなった悲しい日の思い出を、ボソボソと話してくれた事があった。
隆仁の母が、不幸な事件の犠牲になって死亡した日。立木信之と咲姫は急いで病院に駆け付けた。
「そうした方が、世間に良いイメージを植え付けられる」、と判断した信之の判断だった。
だが血に塗れた遺体を前にして、咲姫の心は萎えた。
とてもじゃないが、父親の言う様な献身的な許婚を演じる気力など、絶対に湧いてこない。
咲姫は不浄なものに、異常なほど反応する。度を越した潔癖症なのだ。
隆仁の母の遺体は、彼女には充分過ぎるほど【不浄なモノ】に映った。
「如何しても家に帰る」
言い張る娘に手を焼いた信之は、最後の手段に出た。
十歳に為って急に背が伸びた花音は、殆ど咲姫と変わらない身長になっている。咲姫のお古ばかりが吊るされている花音のクローゼットの中から、隆仁も見た事のある濃いグレイの服を選んで、花音に身に着けさせた。その上から、濃い目のグレイのベールをスッポリと頭から被せたのだ。(喪服にベールは付き物だ)
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