第四章  絹子の* “レ・シルフィード” *

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 程なくして・・二十六歳の絹子は、遂に銀座に小さな店を持った。  小さいながら、表通りにある店だ。  その店にはホステスが三人と。ボーイと黒服、それに中年のバーテンダーという取り合わせで、男の従業員も三人ほど抱えている。  結構、お金の掛かった店だ。  当然ながら・・お金持ちや政治家のパトロンを複数持っている絹子には、それなりの身体の付き合いがある。割り切ってはいても、時にはおきゃんな娘心が泣く。  そんな時。何時も、丁度いいタイミングで、花音が遣って来るのだ。  「如何して、分かるんだろう」  花音と絹子の不思議なテレパシー・・?  店を開いた直ぐの頃だった。「今後の店の手助けに為れば良いかな」くらいの軽い気持ちで、立木の邸で学んだ上流階級のパーティーマナーを教えたことがある。  「昔取った杵柄よ」、そう言って笑った花音。  立木の家で催されるパーティの準備は、大学生だった花音と秘書たちの仕事だった。高校生の時から裏方を散々手伝って来た花音は、パーティーの手順を熟知している。  招待客の顔ぶれに合わせて、準備のグレードを変えるのも花音の仕事の内だった。  使う食器から、セッティングの方法やテーブルの花まで。全て変える。客の社会的地位や、立木信之にとっての利用価値に合わせて変えていくのだ。そんな裏事情を余すところなく、そして知っている事の全部を。花音は絹子に教えた。  お返しに絹子は、男のあしらい方を色々と教えてくれる。  しつこく迫る男の手を、優雅に、だが断固として拒む方法には大笑いした。  「ホステスさんって、意外と大変なのねぇ」、ひたすら感心する花音が、絹子には面白い。そんなある日。開店前の準備に追われる絹子を手伝っていた時の事だった。絹子は意外な花音の特技を発見した。  ある程度、世間に名が知れたカクテルなら。花音は当たり前のように作れるらしい。  立木の家で便利な召使いだった花音は、パーティにバーテンダーの手配が付かない時の予備として、その手の訓練を受けた事があると言って笑った。  「芸は身を助く、だね!」、時々はバーカウンターの中に手伝いに入り、絹子にウィンクしたりする。  だが、絹子は気付いていた。  明るく振る舞っている花音だが。突然に浮かび上がっては、花音をどこか遠くに連れて行ってしまう思い出があると。気付いていた。  隆仁を想う時。なぜか咲姫を愛する隆仁の姿が浮かぶ。それは哀しくて遠い記憶だ。  その時もふと、また思い出した。  それは咲姫が未亡人になってパリから帰って来た頃の、古い思い出だった。ふたたび隆仁の恋人に返り咲いた咲姫が、彼を立木家のパーティーに連れて来たあの時も。彼が注文したハイボールを作ったのは花音だった。  もっとも彼は咲姫に夢中で、花音の姿など目にも入っていなかったのだが。花音が作ったハイボールに口を付けながら、熱いまなざしで咲姫を見つめていた隆仁。  シェイカーを片手に、花音はふとそんな事を思い出して。心がシクッと痛んだ。  
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