第30回 久米三十六姓と、遊郭の女流歌人

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《歌人・吉屋(よしや)チルー》 〝久米三十六姓〟が住んでいた久米の隣の辻は、今はソープ街で、一部の(スケベな)男たちに有名だ。  以前に書いた通り、沖縄は市内の町が小さいので、オレの住む国際通り沿いから海の方向のキャバクラ街の松山、さらに海側に行った久米とその隣の辻はすべて歩いて行き来できる(長い距離で徒歩30分くらい)。町が密集しているのだ。  辻はその昔、仲島遊郭だった。そこに、吉屋チルーという女が遊女として売られた。17世紀、350年ほど昔の話だ。わずか8歳のときだったという。農民の娘だから、貧しかったのだろう。  そこで客と恋に落ちた。しかし金持ちに身請けされたため、添い遂げることはできず。女は金持ちの住まいで食を絶ち、亡くなった。  それが18歳のときだった。  餓死して、愛した男への思いを貫いたと解釈したい。  その10年前、仲島遊郭、つまり今の辻に売られる途中の比謝(ひじゃ)橋でのことを詠んだ琉歌は有名だ。  琉歌は八文字と六文字を使って詠む、基本は八八八六の歌。  うらむ比謝橋や 情けないぬ人の  我身渡さと思て 架けておきやら (恨めしい比謝橋は お情けのない人が 私を渡そうと思って 架けておいたのでしょうか)  オレは短歌や俳句にまったく興味ないのに、この琉歌は好きだ。色っぽさ、哀しさ、諦め、時代のすべてが語られている。〝歌〟がもともと哀しい性質のものなら、歌の哀しさは、女の許されぬ恋心がよく似合う。吉屋チルーは沖縄では知らない人はいない女流歌人となった。     
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