第30回 久米三十六姓と、遊郭の女流歌人

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 戦争の空襲で焼けるまで遊郭として存在したその辻は、戦後からしばらくして飲み屋が栄え、その後、風俗が増えていったようだ。吉原のように歴史のつながりを感じさせる町でもある。ただ、今そこで働く女たちと、吉屋チルーの状況はまるで違う。現代の女は自分の意志で辻にいる。  比謝橋は嘉手納(かでな)町と読谷(よみたん)村の境を流れる川に架かった橋で、現在はコンクリート造りになって存在している。  チルーは琉球語で鶴をさす。 《孤独の琉歌》  自分でも琉歌をひとつ作ってみたくなり、夕暮れ時に近くの波ノ上のビーチへ行った。9月下旬だからか地元の若者さえいない。缶ビール片手のおっさんがベンチにいるだけ!  比謝橋とはだいぶ趣が異なるが、ひとりきりで人工ビーチの砂浜に立ち、移住して1年半のことを振り返り、今もって独り身の自分を照らし合わせて詠む。  なまや孤独やしが 真道なりば 心知るんちゅぬ 現りる海 《※今は孤独でも 真(まくとぅ)に生きていれば その心(くくる)を知る人が 海から現れる》  実は最初はちょっと違う歌だったが、当エッセーによく登場する島袋千恵美さんにラインでお見せしてみたところ、ちょこっと変えてくれて、できた歌です。     
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