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■あの高さからじゃ死ねない
小高千早
――ねえルリ、五丁目の美容室のとなりにカレー屋ができたの! 本場のネパールカレー。ネットでしらべたんだけど、わたしの大好きなほうれん草のカレーだって三種類もあるんだ。ねえルリ、だから今週末、一緒にいこう! ルリのハスラーじゃなくて、ふたりで歩いて行くの。五丁目だからすぐでしょ? それでね、昼間っからネパールのビール、頼んじゃうんだ! 車じゃないから誰も文句、言えないでしょ? ね、週末ふたりでいこうね、約束だよ、約束の約束っ!
「おい、また勝手なこと言って……、」
僕の意見などろくに聞かないまま、電話はぷつりと切れた。初めてのことではないし、むしろいつものことだと言ってもいい。幼馴染みである彼女の家は両親のしつけが厳しく、外出できるのは昼間に限られている。だから逆に、彼女はその清純な外見とはうらはらに昼間から酒を飲むようになり、それにいろいろ、成長するにしたがって秘密を増やしていった。
けれどその秘密の蓄積は、彼女の中ではもう、氾濫寸前になっていたのだと、今になって理解できる。
要するに手遅れだったのだ。
実際、彼女が望んでいたはずの週末は、また別の分岐点を経て突然にやってきた。
その日、いつものようにうちまで徒歩でやってくるはずの彼女は、約束の十一時を過ぎても姿をあらわさなかった。厳しく育てられた彼女は今まで一分たりとも遅刻をしたことがないと記憶している。もしかして唯一の幼馴染みである僕に甘えているのだろうか、そんな中学生みたいな想像も、十一時三十分を過ぎる頃には一抹の不安へと変わっていった。
そして手にしていた愛用のスマホ、ネクサス5Xが鳴った。知らない番号からで、もちろん知らない女のひとの声だった。
――もしもし、桜木市立中央病院、救急救命科、雪里です。
「え」
――瑠璃也さん、ですよね、急いでこちらへ向かってください。
「一体何が、」
――落ち着いて聞いてね。君の彼女、里ヶ丘五丁目の歩道橋から落ちたの。おそらく投身自殺を図ったんだと思うわ。容態について詳しくは病院で説明するから、急いで、いいわね。
「……そんな」
――君がうろたえていてどうするの、しっかりしなさい。待っているわ。
「あ、あの、僕は、」
女性は『彼女』と表現したが、僕たちは決してそういう間柄ではない。呼ぶべきなのは親兄弟ではないのか。
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