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彼は、建ってまだ新しい分譲マンションの一室にひっそりと住んでいた。
「今日はお忙しいところ、お時間を作っていただきありがとうございます」
「なあに、かまわんよ。いつも暇をもて余している老人だからね。こちらこそすまんね。家内が買い物に出かけてるんでろくなおかまいもできずに。もうすぐ帰って来ると思うんだが……」
応接間のテーブルを挟み、ソファに腰かけた彼に謝辞を述べると、その白髪頭を坊主にした老人は優しげな笑みを浮かべてそう答えてくれる。
老人の名は浦島宇一。
先頃のダム建設で廃村となったT村の出身者で、それを期に合併したR市の中心部へと移り住み、今は奥さんと二人、このマンションで悠々自適な隠居生活を送っているようである。
こどもは息子と娘が一人づついるが、どちらも廃村前からすでに都会へ出ていて、ずっと別々に暮らしているらしい。
そんな故郷を失った老人のもとを私が訪れたのは、彼からその村で経験した〝ある出来事〟の聞き取り調査をするためである。
この某地方都市の某大学で民俗学の研究をしている私は、恩師である教授の口利きで新たに編纂される『R市史』の民俗編担当の仕事をもらったのであるが、その廃村になったT村のことを調べる内に、大変興味深いウワサを小耳に挟んだのだ。
それは……
〝ゾンビを見た村人がいる〟
そんな、俄かには信じがたい、どうにもトンデモ情報としか思えないようなものだった。
そもそもハイチじゃあるまいし、日本でゾンビというのからしてどうかと思うのだが、つまりは〝埋葬後、墓から蘇った人間を見た〟と、そういうことらしい。
そこからすると、ヴ―ドゥー教の本家ゾンビや映画に出てくるような腐乱した姿のいわゆるゾンビなどよりも、東欧諸国の伝承にある吸血鬼の方が近いのかもしれない。
それでもまあ、眉唾ものに違いないのだが、一応、噂の出所を調査のついでに辿ってみたところ、確かにそういっている廃村出身者が存在したのである。
それが今、私の目の前に座っているこの浦島氏だ。
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