Nevicata

2/10
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
「ねぇ、思い出した?」  彼女は訊いた。 「何を」  俺は訊き返す。  地上数百メートルという高さの展望台は、真ん中から綺麗にちぎれて。取れた先端部分は逆さまになって、遥か眼下のビルに突き刺さっていた。まるで盃のようだ。  灰色に霞む地上。  そこに一体何があったのか、俺は知っている。人が、獣が、機械が、どのようにして雪に埋もれていったのか。世界がどのようにして終わっていったのか。俺は覚えている。けれど、彼女が思い出せというものが地上の終焉の様子ではないことも、覚えている。 「私のこと。それか、貴方のこと。それか、私たちのこと」 「知らない」  知らないから、そう答えた。知らないといえば嘘になる。だが、あまりにも隠されたものの多い中で、知っていると答えるのも烏滸がましい。  彼女は酷く苛立っているようだった。展望台は壁と天井が失われた今でもその機能を捨てていない。今でこそ雪の向こうだが、晴れてさえいれば眺めは良かっただろう。そんな場所で彼女は床にカーペット宜しく降り積もった雪を睨みつけ、淡々とした調子で地上へと蹴り落としていた。蹴り落としながら、少しずつ俺から離れていく。風は吹いていない。塊になった雪は、解れることはあってもまっすぐに落ちていくのだろう。  俺は代わりに空を仰いだ。雪は降り続いている。溜め息が白く曇って、灰色の空を背景に消えていく。 「どうしても認めないの?」  彼女の声は澄みきり、凍りつきそうな程冷たかった。 「何を」 「私のことと、貴方のことと、私たちのこと」 「知らない」  雪のように、淡々と降るだけのやり取りだった。  彼女の黒髪は艶やかに長かった。彼女が身動きする度に彼女の身体を撫で、緩く曲線を描く輪郭を空間に示していく。雪を蹴り落とす彼女の向こう側に街が、街だったものが横たわっている。温度のない灰色だけが、雪の白の間に所々顔を覗かせている。死者の顔のようだった。  地上の全ては炎に焼かれて、死んで灰色になった。俺はその灰の中から目覚めた。思い出すことなど、それ以降の経験しかない。もしそれ以前の「記憶」を思い出したのだとしても――――街の焼ける光景や、建物の崩れる音や、逃げ惑う人々の叫びを思い出したのだとしても――――それはある種、夢のようなものにしか過ぎないのだろう。  思い出している。けれど、そんなことは「知らない」。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!