松籟

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照りつけるような陽射しの季節もようやく過ぎ、少しくらい歩いても汗をかかなくなった。そう感じながら、運慶は、御蓋山(三笠山)を背に、春日社の参道から三条大路につながる道の通る松林の中を、興福寺に向かってのんびり歩いていた。ほんの少し下り坂である。造仏所は、興福寺境内の西、東六坊大路を挟んだ園地の中にあり、のんびり逍遥中の運慶は、人通りの多い猿沢の池まで回って帰ろうとしていた。林の木は、黒松が多く、いずれも長い時を重ねたものばかりで、その、重厚に重なり、かつ割れた樹皮が、比類ない存在感を顕にしていた。幹は、真直に立っていても、根元は優雅な斜幹になっている。作ろうとして作れるものではない美景を呈していた。 奈良に都ができて以来、もう四百年、都が京に遷ってからでも三百年が経つ。よくこのような大寺がいくつも作られ、守ってこられたものだ、と、他人事のように思いながら、林の四方に見えている伽藍の屋根を眺めていた。鹿が、ここかしこに屯して、寛いでいた。彼らにとっても、まだ動き回るには暑いのだろう。 運慶の逍遥は、日に一度か二度はあった。お寺(興福寺)の堂衆修行からようやく造仏所に戻った運慶は、棟梁の跡取り息子という立場を利用して、勝手に休んでは、ふらりと近くの寺や野に逍遥するのが、天気のよいここのところの日課であった。運慶は、今年、十八になっている。これでも、やる気に満ちているのである。堂衆修行に「出される」までは、周辺の悪ガキどもとケンカか石投げや度胸試しのような危険な競り合いばかりしていた。まして、造仏所で鑿を持つこともろくになかった。決して、御仏を木から掘り出すことが嫌いなのではなく、飽きっぽい性で作業に堪えられないというわけでもなく、鑿に振り下ろす玄能が止まらない時もあったのである。
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