興福寺堂衆修行

4/6
前へ
/112ページ
次へ
ある時、親しい堂衆と学侶が激しい言い争いをしていた。堂衆が、ある文書を物置で見つけ、何が書いてあるかわからぬので、能書と噂されていた学侶に聞きに行ったらしい。ところが、手蹟が荒く、図絵のような文字のようなで、その者も読めなかった。にもかかわらず、こんな物はどうでもよい落書きだという。その堂衆は、堂衆の中では多少物知りな運慶を呼んで、読めるかと尋ねた。 運慶は、これは古刹の御仏の配置を写し取った昔の文書で大事なものだと言った。学侶は、自分で判じ得なかったものを堂衆に教えられて不快になり、こんなものは塵芥だといって、細かに破ってしまった。 運慶は、古記録や造仏に関わる古いお経などを見たことがあるため、目が慣れていた。しかし、学侶の方は、おそらく整った書を読み、きれいな文字を書くだけであった。運慶は、学侶の頭の固さと身勝手さに驚いた。運慶もその学侶はできるらしいと聞いていたので、意外でもあり、人の才とは何であるか、評価とは何であるか、考えさせられた。 童仙房という中背ながら屈強な輩は、俊敏で妙な体術を使う男だった。運慶は、初めのうち、自分がどうやって殴られているのか、どうやって蹴られているのかわからないままやられて気を失っていた。とにかく、宙返りをしたり、身体を捻転させて蹴りや突きを繰り出す。素早い動きで止まらない。そのうち、その特異な構えと全身を使った攻撃法に興味がわき、運慶は、「教えてくれ」と童仙房にしがみついた。童仙房は、力もある男だが、気の良い男で、自分の体術を惜しげなく教えてくれた。 童仙房に倣って、腰を落として構えの姿勢を取ると、運慶は、その格好に見覚えがあった。斑鳩法隆寺の仁王像である。 中国嵩山に伝わる「少林拳」というものらしい。あの特異な姿態は、これであったか、運慶は、理解した。仁王の体躯でこの体術を使われたら、それはそれは恐ろしいことだろう。童仙房は、甲賀の里にいた、大陸からの帰化人に教わったという。元々の「少林拳」は、仏道修行として、非常に厳しく身体を傷めつける鍛錬を行うらしい。単なるケンカの体術ではないと強調していた。 型通りに身体を動かすと、なんともいえない清新な心地がして、やんちゃな運慶には、座禅などよりも精神集中に向いている気がした。運慶が、堂衆生活で得て身に着いたものの一つである。
/112ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加